孤独死とは、文字通り「孤独に死ぬ」という事であり、定義としては自宅等で死んで2日以上誰にも発見されない死のことだったりします。
核家族化が進み、高齢者の独居が増えたため、「孤独死」は社会問題化しています。ニッセイ基礎研究所の統計によると、65歳以上の孤独死は年間26,821人程あるそうです。だいぶ前ですが、「飯島愛子」の孤独死が話題になりました。当時36歳で亡くなりました。
若い人でも、もちろん孤独死はあり得ます。というか、一人暮らしをしている以上誰でもあり得ることで、高齢者の一人暮らしが増えれば、それだけ孤独死のリスクも社会的に大きくなるのは当たり前です。
ただ、最近思うのですが、自殺をする人というのは、共感者や理解者等の所謂「分かってくれる人」がいないからこそ自殺してしまうものであり、それは「精神的な孤独死」と言っても過言ではない気がします。
子供の「いじめ」に関しても、必ずいじめられた子は孤独になり、自殺します。大人に関しても自殺する人は、一人で抱え込み、だれにも頼れない故に自殺するものではないでしょうか?もし、その人に共感者や理解者がいれば、自殺は防げたかもしれません。
人間の本能的欲求である「承認の欲求」は、満たされないと非常にストレスを生むものかもしれません。承認してくれる人の数が多くないと満たされない人もいれば、一人でもいれば満たされる人もいると思います。
「偶然でも会えなくて、でも世界中で1人だけは伝えたい!」
という歌詞があります。この歌詞はある意味人間の「承認の欲求」に関する答えの真理の1つだと思います。「引きこもり」と言われる人もネットサーフィンをしているものです。ネットは人とつながるツールの1つです。孤独を好んでも、人間とは誰かと繋がりたい生き物だと思います。
また、共感者や理解者がいれば、辛くても頑張れるものでもあると思います。しかし、いないとなると、ある種どんな環境でも辛いものになるものです。ただ、
「子日、不患人之不己知(孔子曰く、人の己を知らわずを患(うれ)えず、人を知らざるを患(うれ)う)」・・・論語
という言葉があります。訳すと、「他人から分かってもらえないと嘆くのではなく、まずは自分が他人を分かってあげれない事を悩むべきだ」みたいな意味です。
まず自分が他人を分かってあげられない事が問題なのかなぁ~等とも思います。他人を分かってあげられないのに分かってもらいたいと思うこともおこがましいかなぁ・・・とも思ったりします。
社会とつながっていても、家族がいても、友人や恋人がいても、自分の考え方次第では孤独になるのかもしれません・・・自殺は孤独でないとできない気もします。
なんてなんて、何でこんなことを考えているのか自分でもわかりませんが、そんな非常にどうでもいいようなことで頭を悩ましている今日この頃でした(;一_一)