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自分を見失うって、どういう状態?

「魯の哀公孔子に謂いて曰く、『人好く忘るる者あり。宅を移して乃ちその妻を忘る』。孔子曰く、『又好く忘るること此より甚だしき者有り。丘、桀紂の君を見るに、乃ちその身を忘る』。」

 「貞観政要」という、中国歴史の中で唐の時代(AD618年~907年)のうちの、「太宗李世民」という2代目皇帝が臣下たちと問答形式により、帝王学を追究した書物であり、その中の上記の話がでてきます。

 訳すと、「魯という国の哀公さんが孔子さんに、『スゲー物忘れのひどい人がいましたよ!!その人は引っ越しの時に、妻を忘れて引っ越したんですよ(笑)』。それを聞いた孔子さんは、『そんな物忘れをする人より、さらにひどい物忘れをする人がいます。桀さんと紂さんという方たちは、自分を忘れていました!(自分を見失っていた!)』」みたいな感じです。

 「桀さん」は中国の伝記に乗っている最初の国である「夏」という国の王であり、「紂さん」はその次の「殷」という国の王ので、すごく暴君で好き放題したとのことで、「夏桀殷紂」という、「暴君 in the暴君」を表す四字熟語になった方たちです。

 ちなみに「酒池肉林」という、「楽園 in the 楽園」四字熟語はこの頃らへんにできた言葉です。この2人の王は、最初は「名君」だったらしいのですが、途中から「暴君」になったそうで、そして「酒池肉林+美女」により国が滅びました。

 と、歴史の話はこの辺で置いときまして、「自分を忘れる(自分を見失う)」ってどういう事?と最近思います。キレている時やすごく悲しい時、人を好きになったときなんかは分かりやすいです。

 しかし、「冷静でいるようで、冷静でないかも・・・」、「自分の現状に納得しているようで、納得してないかも?」、「自分って何なん?」と思ってしまうときは、自分を忘れている(見失っている)状態なのでしょうか?

 冷静に自分のことを考えているので「大丈夫!」と思いながらも、そもそも論ですが大丈夫だったら「そんなこと考えて無くね?」なんて、そんなことも思います。

 悩む=自分を忘れる(見失う)というわけではないと思います。しかし、私は「自分とは何ぞや?」という答えがないから、悩んだりするのかな?と思うと、これもそもそも論になりますが、「自分とは?」みたいな答えがないと常に自分を忘れているというか、見失っている状態なのかな・・・なんても思います。

 「我思う故に我あり」・・・デカルト

 自分がいるのは分かります。でも、自分を見失っているかもしれないと思うと考慮迷子になり、中々しんどいなぁ~・・・なんて、「色即是空」的な程、どうでもいい事を考えている今日この頃ですさね(-_-;)

忘れられた建物

 

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yu-sinkai

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