「私たちの人生の争いは、いつも善と善との争いだ」・・・浄土真宗
この言葉は、世の中の真理であり虚偽でもある。言い換えれば、争う本人達にとっては「真理」であり、第3者等から見たら、「自分の善という思い込みによる争い」とであり、それは「虚偽」ともいえる。
人間の歴史を振り返ると、ある意味「戦争の歴史」と捉えることもできる。それは「村同士の小さい争い」から「国家同士の争い」等の大小様々であるが、人間は常に争ってきた。それも、他の動物の様に「生きるため(食糧確保)」だけではなく、「大儀や正義」あるいは「欲」のために争うのだ。
その争う理由を「善」に結び付けることで良心を痛めることなく戦うすべを身に着けたと言っても過言ではない。
さらに小さい規模で考えれば「仕事場での訳の分からない派閥争い」も同じである。そして深堀して考えれば、子供たちの争いよりも大人の方がたちが悪い。何故なら「自分は善(正しい)である」という理由を、並べることができるからである。
もちろん、「なんだこの阿保?」と思うようなことを言う人もいるが、まあ・・・タチが悪い。何故なら、「自分の善を真理」と思い込み「相手の善は虚偽」とあまり根拠もなく思い込んでいるからだ。
「相手の気持ちを考えろ!」なんて超絶シンプルな言葉は私が子供の頃によく言われていたことである。時代なのか教養の低さか、人間のもともと持っている真理なのか・・・
「相手の善」と「自分の善」・・・ただそれが違うと認める事ができるようになる人が増えれば、いささか世の中は善くなるように思える。
