「1人の人間はかけがえのない存在です。それは唯一の存在であり、1回きりの存在です。」・・・ヨハネ・パウロ2世
以前、何かの本で昭和の時代の政治家が「人の命は地球よりも重い!」と言っていることを書いていて、その頃の私は正直「阿呆か!」と思っていました。今でも少し思っています。ただ、その考え方も分からなくはないと最近は思うことがあります。
その人間や生物の属性やカテゴリーだけでみれば、単体の命の代わりなどたくさんいます。例えば、人間という種族だけで言えば、77億人の代替えが効きます。極論ですが、理論的にはそういう事です。
しかし、命やその人、生物の価値というのは、属性やカテゴリーよりもその「個」の方に重きを置くべきだと私は考えています。
例えば犬を飼っている人がいたとしたときに、その犬が死んだときに周りは「犬」というカテゴリーでみるから、「また新しい犬を飼えばいいじゃん!」と安易に思ってしまいます。しかし、その飼い主からすると、「犬」というカテゴリーではなく「その犬」という「個」が大事であるために悲しむものだとおもいます。
これを、人間社会の出会いに当てはめても同じことです。異性関係や職場関係、友達関係なども同じことが言えます。「彼氏と彼女」、「上司や部下」、「友人」というカテゴリーだけで言えば、かけがえはないです。
何故なら、「かけがえのない」=「変えることができない」という事だからです。カテゴリーだけで言うと世の中沢山変えるものがあります。
私自身は、人や物を「カテゴリー」と捉えるか「個」と捉えるかで、歩む人生の深さが変わってくると思います。
人の出会いは一期一会の可能性は高いです。また多期多会(こんな4字熟語は無いですが・・・)であっても、いつ別れが来るか分からないです。だからこそ、出会う人は掛け替えのない存在となりうるのです。自分にとって変えることのできない存在だからこそ、個人個人の命は大事です。
私自身が、誰かの掛け替えのない存在になろうと思わないですし、なれているとも思わないです。ただ、自分自身が、出会う人に対して、個人個人を掛け替えのない存在であると認識して生きたいと思は思いますさね。
私自身の人生は他人にとって価値は無いものかもしれないです。
しかし、人の出会いをなるべくカテゴリーではなく個と考え、かけがえのない物として生きていく方が、人生を下らなくも面白くできるかもしれないかなぁ~なんてなんて、チョイ聖職者的な、そんなことを考えている今日この頃ですさね(;一_一)