哲学ツイート

見える世界の変化

「見るものすべてが、変わり果てたならば、花を抱いて眠ればいい」・・・HIDE

 私世代では超有名なアーティストで、「XJapan」のギタリストでもソロ活動でも有名なHIDEの「DICE」という歌詞の1文です。1998年5月に自殺(事故死とも言われたりしている)し、後を追って自殺するファンもいたそうです。

 以前、「視覚」も個人個人の解釈であり、人それぞれ同じものを見ていても、その感じ方は人それぞれであり、であれば同じものを見ていても人それぞれ見えている世界は違うというような内容を記載しました。

 ただ、「諸行無常」というか、自分という人間もなんやかんやで変化していくため、見える風景がその時の心情だったり、年齢だったりで変わってくるものなのかな?と最近思います。

 例えば、小さい頃にお寺や神社等を見ても、殆どの子供は面白くありませんが、齢を重ねてから見ると、信心深くなり面白いというか、興味深く見れます(人それぞれですが・・・)。

 あまり悩みがない時に空を見るのと、悩みがある時に空を見るのとでは、同じ様な空を見ていても感じ方は大分違います。それが綺麗に見えるか切なく見えるか、悲しく見えるかは同じ自分が見ても心情で変わります。

 ただ、おそらく自分が見る世界が変わることに気付くのは、結構難しいんじゃないかなぁ~なんて思います。自分の心情が急に変わると気付きやすいですが・・・

 色恋沙汰が分かりやすいので例にしますが、恋人同士ですごい喧嘩しているときに、「怒っている顔も可愛いなぁ(かっこいいなぁ)」なんて内心思っていたら、多分すごい喧嘩にはならないです。その喧嘩している瞬間は「顔も見たくない!」と思うくらい、ある意味醜く感じるかもしれません。

 でも喧嘩が終わって仲直りすれば、可愛いだのかっこいいだのとか思うかもしれませんね(^_^;)

 こんな感じで急激に心情が変わることは落ち着けば元通りの風景に見えたりします。ただ、自然と嫌になっていくと、なんか気付いたら顔も見たくなくなって、「あれ?かっこよくない(可愛くない)」となり修復不可能な関係になります。

 これは色恋沙汰だけでなく、仕事や趣味、その他人間関係なんかでも大いにあると思います。仕事を頑張っていても、成果を出せなかったり自分が疲れてくると、優しい同僚も優しくなく見えたり、やさしい上司も嫌になったり。

 自分の心身状態で、同じものを見たり、同じ対応をされたりしたときに、「解釈が変わるもんだなぁ・・・」なんて最近感じます。

 そして、心情がネガティブな時は、今まで優しかった人がそう見えなくなって、本当は自分に協力してくれていても、なんかそう思えなくて、感謝を忘れたりしてしまう様になったりもするもんだなっとも思ったりします。

 自分の心情次第で、見える風景が変わることに気付けないと、人に迷惑かけてしまうもんだな・・・なんて、どうでもいいことを考えたりする今日この頃です(;一_一)

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yu-sinkai

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