「生と自らを取り巻く世界について、どれだけ理解していないかを理解するとき、我々一人一人に英知が宿る」・・・ソクラテス
「承認欲求を通じて得られた貢献感には、自由はなく、必要がありません」・・・アドルフ・ヒトラー
「理解」と「承認」似ているようで違う言葉の一組である。「理解」は主にベクトルが自己に向き分かることであり、承認はベクトルが自己だけでなく他人にも向き認める事である。
また、どちらの言葉も「許可」という意味合いが含まれている。よく「ご理解下さい」のような言葉を聞くが、これは「ご承認して下さい」と置き換えても差し支えないし、「ご許可下さい」とも置き換えられる。
「許可」という側面から見れば「理解」≒「承認」≒「許可」となる。
しかし、理解の欲求≒承認の欲求とはならない。理解とは、言わずもながであるが、その内容が分かることやその気持ちが分かることが、許可の内容以上に含まれているからだ。承認はそこが含まれていなくても問題ない。
有名な「マズローの5段階欲求」という説によれば、まず人間の欲求の土台は生物としての「生理的欲求」がある。2番目に「安心・安全の欲求」があり、3番目に「社会的欲求」があり、4番目に「承認の欲求」がある。最終的な5番目は「自己実現の欲求」である。
上記のような図が有名である。
人間は、社会的な参加や意義、地位等を見出した後に、必ずといっていいほど承認を求める生き物であるという事である。
勿論、欲求のカテゴリーは同じでも、その内容は千差万別なところがある。
生理的欲求の中でも、「食欲・性欲・睡眠欲」のどれに重点を置くかは人それぞれである。安全の欲求も、治安があまり良くないところでも大丈夫という人もいれば、完璧に治安がよくないとその欲求を満たせない人もいる。
社会的欲求も、仕事に求める人もいればボランティア等に求める人もいる。自己実現は、それこそ千差万別であり、職業・人柄・趣味等、さらにカテゴリーの分割が細分化される。
しかし、承認の欲求はあまりカテゴリー分けもなく、内容も同じようなものである。何のことで他人に承認するかは千差万別であるが、十人十色の自己の中でも、承認的欲求自体にあまり大差はないように私は感じる。
であれば、承認の欲求は誰もが同じように共感できる欲求であり、それは言い換えれば「マズローの5段階欲求」の中でも一番人間が同じような心境で欲する欲なのではないかとも思う。そして、ここで理解との大きな違いがでてくる。
承認は多くの人にされればされるほど良いかもしれないが、理解はそう言うわけではない。もちろん、多くの人に理解されればそれに越したことはないかもしれないが、時には「分かる人だけ分かってくれればいい」「この人だけが分かればいい」等のような感情が理解にはある。
ある意味、理解は欲求より願望に近いものだとも考えることがある。
では、「欲求と願望の違いは何か?」という問いに対して、有名な哲学者であるカントの言葉を借りるなら、私自身は「欲求はアプリオリ(先天的)」、「願望はアポステリオリ(後天的)」であると考える。
何故なら、欲求は生物として生まれた時から体感的に知っている事である。空腹感、睡眠欲、恋愛感情、恐怖感、快楽感等は誰にも教わらないが、何故か備わっているものである。「生物的、人間的な欲を求める」という事である。
しかし、願望は「願う物や願う事を望む事」であり、その「願う内容」を知らないと成り立たないからである。空腹の欲求だけであれば食べるものは何でもいいはずだが、食の願望となると様々な食べるものを知らないと願えないのである。
同じく承認はその内容をあまり分かっていなくても成り立つ行為であり、承認を受ける側も理解は求めない。政治などがいい例である。おそらく政治家は理解よりも承認を求める。もちろん、政治家になる構造上、票集めが絶対という面が強い。
しかし、政治家の政策を本当に理解しようと考えれば、その分その政策に落ち度がありそうなときは反発があり、承認されなくなる。おそらく、「消費税増税は社会保障のために必要」という承認は欲しいが、「消費税増税をどの様な分配で様々な社会保障にあてているのか理解したい」とは政治家は問われたくない。
多くの人から承認されたとしても、必要な人から理解されないと人間は苦しいものでもある。時には「千の承認」より「一の理解」が勝る事もある。
そのこと自体は、殆どの人間に共通な事ではないか?とも私自身は考えてしまう。
そして、「欲求」は人生経験や学んだ学等で、抑えることがある程度できる。しかし、「願望」はある意味その人生経験や学んだ学から生まれるものである。だからこそ、願望をかなえる方がより難しいのかもしれない。
私自身は多くの人に承認されたいという欲求はもちろんあるが、それ以上に誰かに理解されたいという願望が強いのかもしれない。
ただ、「理解されたいのか?承認されたいのか?」を自己理解することや、その感情は「願望なのか?欲求なのか?」等、自己分析できる方が、下らない事かもしれないが、人生を少しでも面白く生きれる考慮材料になるかもしれないと思う。