哲学ブログ

不安~自由と本能~

 「不安は自由の目眩(めまい)である。」・・・セーレン・キルケゴール

 「不安に対する一番の解決策は、とにかく忙しくなること」・・・堀江貴文


 「人間は自由だと不安を思う生き物である」であると定義した時に、どれだけの人が反論するのだろうか?漠然と考えているときは、安心よりも不安が先立つのが人間の常だと思う。


 人間に限らず生物は「生きる」という目的に基づき、進化してきた。生物全般生きるために、脳なり、身体なり進化してきた。20万年頃前に新人類(私たちの祖先)が誕生してから、人間も例外なく、生きることをまず目的とし、その次に遺伝子を残すという目的のために進化した。

 今でこそデジタル化が進み、発展途上国と先進国という分類もほとんどなくなろうとしており、日本での死因の原因を主に占めるものは、悪性新生物、心疾患、老衰、脳血管疾患、肺炎等になった。しかし、安土桃山時代(400年ちょっと前)でも平均寿命は30歳ほど(子供の半分は、大人になるまで生きられなかった。)であり、江戸時代も30歳~40歳(幅は広いが)とも言われている。ほとんどの死因は、飢餓、疫病、殺人、不慮の事故(猛獣から襲われるなども含む)が死亡原因だった。


 ここで何が言いたかったかというと、人間も誕生してからつい最近までは飢餓や疫病、殺人や不慮の事故等からどう身を守るか、という課題と向き合うために、脳は進化したと言えるのでは無いだろうかという事である。

 例えば「蚊」の音がうるさいのは、「蚊」がうるさいのではなく、「人間」が「蚊」の音をうるさく感じるようにできているらしい。世界で人間を一番殺しているのは現在でも「蚊」である。だからこそ蚊を警戒するために、蚊の音がうるさく不快に感じるように脳にインプットされた。

 また、「人間」は「にょろにょろ」した「蛇」のようなものに嫌悪感を抱くのは、本能らしい。世界で3番目に人間を殺しているのは「蛇」である。世界で2番目に「人間」を殺しているのは「人間」である。知らない人間といると不安になるのもうなずける。 

 危険な状態になると「コルチゾール」というホルモンを分泌される。「コルチゾール」とは所謂「ストレスホルモン」と言われており、これは人間だけでなく、基本的に脊椎動物全般に起こる事象であり、脊椎動物が有するシステムである。所謂本能である。

 その「コルチゾール」が分泌されたら、「生きる」為に危険なものから、「戦うか逃げるか?」どちらでも瞬時に対応出来る様に、急激にストレスが出現する。言い換えれば、「生きる」ために必須な「急激なストレス」を受けることにより、危険なものから瞬時に身を守るシステムである。


 死の原因になるものに対し、脳が生きる為の対策をしてきたと仮定したときに、「わからない状態」というのは、生きるにあたり非常に不都合な状態だったはずである。生物の欲求の根底は、まずは安全である。そう考えると「分からない状態」の時は安全ではない。何故なら安全かどうかわからないからだ。そうなると身を守るために、「不安」になり「警戒」をしないといけなかった。


 「自由」とは、ある意味何をしていいかわからない状態である。「わからない状態(自由)」の時には、「生きる」ために「わからない状態」に対して「何かあったとき(何か危ないものがいた時)」に瞬時に対策を立てれるように、常に「不安」を持つようになったのではないかと私は考えている。

 「自由」=「何をしていいかわからない状態」=「瞬時に対応を立てなければいけない」=「不安」。∴「自由」≒「不安」という式が成り立つのではないかと思う。ただ、自由になったから「~がしたい」という願望があれば、その「~」という願望に束縛されるため、また「自由」ではない。ただその状態は「自由」ではないが、善い状態ではある。


 何かに束縛されているとき「映画鑑賞」、「読書」、「ゲーム」、「音楽鑑賞」、「仕事」・・・ETC。何かに束縛され、打ち込んでいるときには「不安」がない人の方が多いと思う。束縛に従うときは基本的に不安がないものである。

 何にも縛られない事も良いが、現在でも自由は責任を伴うため、同じく不安を伴うものである。まあ、人間に限らずかもしれないが、人間はとくに不安に思いやすい生き物なのかもしれない。 

 ただ、「人間は不安になりやすい生き物だ。」「不安になることは、色んなことに対処するために、人間に備わった本能かもしれない」と思えるようになるだけでも、「不安」は和らぐのではないか?と思う。

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