「自分の長所にうぬぼれてはならない。自分の短所に劣等感をもつ必要もない。長所も短所も天与の個性、持ち味の一面なのである」・・・松下幸之助
日本の教育は、良くも悪くも平等と言われ、その分、個性教育に向かないとも言われている。日本人の文化の1つとして、個性よりも社会性を重視する考えがある。日本は「和を尊ぶ」文化があり、他人となるべく衝突しない様に同調する傾向がある。
「出る杭は打たれる」と言う諺からも、「みんなと同じという事が良いことである」という思想がある。日本は同調圧力という、多数派の意見が正しいと感じさせられる圧力が強いと言われる。教育により、考え方や生き方、行動等、多数派が持つ常識に従うべきだと、刷り込まれるのである。
今でこそ個性が大事だという概念が広まり、個性教育という言葉も珍しくはない。しかし、未だに教育は、個性よりも社会性を学ぶ場としての機能の方が遥かに強い。
また、学歴社会の面もまだ根強く残っている。社会性とは、簡単に言えば、人間は集団をつくる基本的な傾向があり、その中において、集団行動や概念の統一が重視されるという事である。例えば学校教育で言うと、「テストの点数が低い生徒」≒「落ちこぼれ」という概念は、殆どの人が思う事である。また「9教科(主に5教科)」≒「勉強」という概念も植えつけられる。
公務員になりたいと思う生徒には教師も応援するだろうが、ユーチューバーになりたいと思う生徒を応援する教師はあまりいないように思う。公務員や大手企業、所謂「固い職業」≒「良い職業」という概念はいまだに残っており、高学歴も推奨され続けている。
私自身は社会性に重きを置く教育が一概に悪いとは思はない。災害時に日本では略奪が起きないと言われており、また、食料支給時で長蛇の列が出来ても、順番をしっかり待つことは、日本では当たり前であり、それだけ日本人は社会性を大事にできる。
公務員や大手企業に就職できれば、弱小企業に就職するよりは、はるかに人生安泰になる可能性は高い。また、高卒より大卒の方が就職しやすく、生涯年収も3000万~5000万違うとも言われている。これらは事実であり、この事実に沿った方が、人生安泰に近づくとも言える。
また、同調圧力に従うことが悪いとも思わない。同調圧力自体はただの現象であり、そこに是非もない。生き方は人それぞれであり、同調圧力に従いながら生きる人生の方が、争いも少なく、楽に生きられると思う。
人間は生きていくために集団をつくり、その集団がうまく機能するように、ルールをつくり、集団的機能を優先してきた。集団の規模が大きくなるにつれて、国という単位になり、国がうまく機能するように、ルールから法律を創り、法治国家となる。
十人十色の人間を統制するためには、人間が治めるより、ルールや法律が治める方が、都合が良いという事である。 そうであれば、まずは個性よりも社会性を伸ばす教育が刷り込まれるのは当たり前であり、個性よりも社会性が重んじられることは、不思議なことではないので、否定はしない。しかし、批判はする。
何故なら現代は、一昔前に比べて社会自体の変化に対して多様性が今まで以上に求められる時代であるからだ。今までも社会自体は、時代により変化を続け来てはいるが、インターネットや各分野のテクノロジーが急速に発展し、グローバル時代になり、都市化や情報化が進む中で、今まで以上に急速に変化を遂げたといえる。
その中で、1つの考えに固執した社会性、集団性のみを重視すると、生きにくくなったとも言える。社会性よりも個性を重視した考え方も普及し、企業もそのような人財を欲しがる傾向も出てきた。しかし、従来型の社会性を学ぶことが安泰につながると考えていると、教育で教えられてきた事を真面目にしてきたのに、役に立たないという事が起きるようになった。
社会が多様化するという事は、人間の生活の在り方が人それぞれ多様化するということである。言い換えれば、今まで「是」と言われてきた生き方や、「非」と言われてきた生き方も、どちらも個人個人の采配で「是」にも「非」にもなる社会に近づいた(公共の福祉に反しない限り)。
だからこそ、個人個人が采配する時代、所謂、個性時代になったと言える。ただ、私は「個性」≒「特徴」とは思っていない。「個性」とは個人そのものだと思っている。「個人の持つ性質」≒「個性」となると思うが、例えば、集団圧力に従う人は個性的でないと思うかもしれないが、それは言い換えれば、集団圧力に従う個人的な性質があるとも言える。
個性的に生きるという事は、言い換えれば、個人の生きたいように生るとも言える。自分のしたい事をして生きるのも個性であれば、周りの目を気にして生きるのも個性であり、昔に比べると断然、生き方は選びやすくなった。
ただ、多様化は複雑である為、人生を迷うことも多くなった時代とも言える。選べる人生だからこそ、迷いも多くなる。しかし、迷うことは考慮ができることであり、迷うことが出来るからこそ、人生は面白くなる面もある。