「あらゆることの責任は自分にある」・・・スティーブン・R・コヴィー
「責任」・・・大半の人が嫌いな言葉で、取りたくない物の1つである概念ですね。でも「責任を取れ」という言葉はよく聞きます。「嫌ですよね~」・・・「腹立ちますよね~」・・・(;一_一)
以前私はブログで「責任」について、「行動」・「修正」・「罰」と言うような内容で説明しました。ただ、時折思います・・・時と場合には「無責任になる必要」もあるのかなぁ~なんて(;^_^A
責任には自由が伴うと私個人は考えています。なので、自分の人生の責任は自分しか取れません。そこには、「選択の自由」が伴うからです。もちろんすべての人が選択権を持っているわけではありませし、選択できる能力があるとも限りません。
子供は選択能力がないから、親の責任になります。認知症の人や精神疾患の人は選択能力がないから家族の責任になります。しかし、日本に限らず選択の自由がある人は殆どいると思います。そこに決断力やスキルがあるかで、選択の幅は広がります。
仕事が嫌なら転職する選択もあります。夫や嫁が嫌なら離婚する選択もあります。友達が嫌なら距離を遠くに置くという選択も出来ます。しかし、ある程度の決断力やスキルがないと人間は我慢して現状維持をしようとする生き物なのかもしれません。
転職する方が不安、夫や嫁が嫌でも子供もいるし生活が不安、友達に嫌われるのが不安・・・ETCなんかで、理由を創り現状維持をしてしまう人の方が多いと思います。もちろん私もその一人です。
ただ、自分の人生におけるすべてを自分の責任と思うと、それはそれでまた違うと思います。自分に生じる責任は、「自分が受け入れられる範囲」で止めて、「無理なものは無理」等と時と場合には無責任になる習慣も必要だと思います。自分の人生における選択権は、すべて自分で決められるものでもないですからね(-_-;)
すべて自分に関わることに責任を感じていたら、多分人間おかしくなります・・・私が弱いだけかもしれませんが(・_・;)もちろん、すべてにおいて無責任は駄目だとも思いますよ。要はバランスですかね。守備範囲の広さというか・・・
時や場合によっては無責任になることで、「どうでもいい・・・」なんて思える思考回路を持った方が、人生は面白くなるような気がします(*^_^*)