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平生業成~生きる目的~

「人はつねに自分の幸福を望むものだが、つねに幸福を見分けることが出来るわけではない。」・・・ジャック・ルソー

 題名の「平生業成(へいぜいごうじょう)」とは、「親鸞聖人」による「浄土真宗」の教えです(悪人正機説や他力本願等でも有名です)。後に説明します。

 最近、仏教の教えについて学ぶことがあります。私は、小さい頃から日本神話は「古事記」であり、日本における宗教アイデンティティーは「神道」だと考えていました。

 しかし、日本史を見直してみると古事記が編纂されたのは西暦712年です。日本に仏教を取り入れるか取り入れないかで日本史実にでてくる最初の出来事「大化の改新」は645年です。ちなみに、日本最初の元号はこの時の「大化」です(諸説はあります)。

 そして、時には「神仏習合(日本の神も仏も同じ)」という考えが広まったり、時には「神仏分離(日本の神と仏は分けましょう)」となったりしており、日本の宗教アイデンティティーやカルチャーには「仏教」が欠かせないという事を認識しました。

 まあ、そんな私事は置いときまして・・・「生物は何のために生きるか?」という問いに対して、私自身は「子孫繁栄と、ただ生きるために生きる!」と考えています。

 では、「人間は何のために生きるか?」という問いに対して、中々考えさせられます。もちろん人間も生物ですので「子孫繁栄と、ただ生きるために生きる!」という考えは根底にありますが、人間は「生きる」為に、「その生きる目的」を必要とします。

 「生まれた意味」、「自分の価値」、「生きる意味」みたいなところです。もちろんない人もいると思いますし、そもそも「そんなこと考えない方が幸せ」と思います。でも、考える人は考えたくなくても考えてしまう・・・脳は考えるのが仕事ですから(-_-;)

 そこで、私は「ニヒリズム」という考え方にいたりました。ニーチェで有名な思想ですね。簡単に言うと「生まれた意味」や「自分の価値」、「生きる目的」等は無い・・・という考え方です。

 ただ、悲観的にそう考えているわけではありません。「生まれた意味」や「自分の価値」、「生きる目的」等は自分で創っていくものという事であり、どちらかというと、前向きな発想です。

 しかし、そこで「平生業成」という教えを学びました。「平生」は「生きている現在」で、「業」は「人生の大事業」で「成」は「達成する」という意味です。そして、その「業(人生の大事業)」は「幸福」を指すそうです。 

 要するに、「どんな人も、生きている今、絶対に幸福になれる。だから、あなたも早く幸福になりなさい!」という教えらしいです。「人間の生きる目的」=「幸福になる」という事です。

 ちなみに、葬式や法事は「仏教」が当たり前(4%程は神道らしい)ですが、仏教の教祖である仏陀自体は葬儀を行ったことがないそうです。「親鸞聖人」もです。少し驚きですが、確かに仏陀の教え等を学ぶと「仏教は元来生きている人のために説かれた教え」というのが分かります。

 ここで話を戻しますが、「人間は幸福になることを目的として生きている!」という事に、私も異存はないです。私が生まれる前にアニメ化した「銀河鉄道999」(1話で主人公の母親が殺され、剥製にされるという衝撃アニメの1つ)のオープニングテーマで・・・

 「人は誰でも、幸せ探す、旅人のようなもの。希望の星に、巡り合うまで、歩き続けるだろう・・・」

 という歌詞があります。もしかしたら、人間の生きる目的の真理は幸福なのかもしれないと思うこともあります。

 ただ、「人間の生きる目的は幸福を得るためだ」という命題を解くためには、自分にとっての「幸福とは何か?」ということや「人間にとっての幸福は何か?」を知らなければいけないという事になります。

 幸福のカテゴリーの中に「相対的幸福」と「絶対的幸福」というのがあるらしいですが、とりあえずここでは置いときます。

 「幸福」は千差万別であり、単一的なものではないです。「美味しいものを食べる」、「好きな異性といる」、「仕事にやりがいを感じる」、「昼からお酒を飲むのが気持ちいい」、「1人でいる時間が好きだ」等など、人によっても違い、これが一番というわけでなく、複数必要な人もいます。

 「自分の人生における幸せとは何か?」or「自分の人生における不幸とは何か?」という事を、もしきちんと理解できれば、人生を面白く創れるのでは?と考えたりしています(;^_^A

親鸞聖人像

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yu-sinkai

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