「すべての人間が、いかなる意識においてもまたどんな時でも自由かつ平等であり、そうであったという教育は全く根拠のないフィクションである。」・・・トマス・ハックスリー
「人間はもともと不平等な性質に生まれついている。それ故、彼らを平等であるように取り扱おうとしても無益だ。」・・・フロード
「世の中不平等だ!」、「何で自分だけ?」、「平等であるべきだ!」・・・ETC。このような言葉は、結構日常茶飯事に聞く言葉ではないだろうか?
「平等とは何か?」、「平等とはどういうことか?」、「どうすれば平等に人と接することができるか?」・・・ETC。と私は考えていた時期がある。そんなことを考えながら、私の哲学における「平等とは?」・・・そんなもの「存在しない」ということである。
「死は平等」というが、「老衰で家族に見守られながら死ぬ人」、「事故に遭って死ぬ人」、「若くして難病で亡くなる人」等、死ぬということは同じでもその過程が違えばメチャクチャ不平等である。
また、同じ24時間を過ごすにしても「自由に使える時間」というのは人それぞれである。「働かなくて自分の自由時間を謳歌できる人」もいれば、「働きづめで自分の時間がほんの少しと」いう人もいる。
24時間自由に使える時間があっても、「ただ不安な時間を過ごす人」もいれば、「仕事をしないと社会に役に立ってないと思い自分を卑下する人」もいる。かと思えば、「自分の好きなことで時間を埋め尽くせる人」もいる。
同じ食事したとしても、「美味しいと思う人」もいれば「あんまり美味しくないと思う人」もいるし、個々人の身体機能により「お腹を下す人」もいれば「太りやすい人」もいる。「足りないと思う人」もいれば「多すぎるという人」もいる。栄養素によっては「吸収できる人」もいれば「吸収できない人」もいる。
同じ空気を吸っていると思ったとしても「排気ガスの多い汚い空気を吸っている」人もいれば、「きれいな空気を吸っている」人もいる。
同じ給料をもらっている人がいても、「給料が足りないという人」もいれば、「自分なんかにたくさんの給料をありがとう」と思う人もいる。「自分には妥当だなと思う人」もいる。
それぞれの部下に同じ声掛けをしたとしても、「ウザいと思う人」もいれば、「自分のことを気にかけてくれて有難いと喜ぶ人」もいる。
平等な事実があっても、やはり不平等に考えてしまうのが人間の常であると私自身は考えており、これは私の人生哲学の1つである。では、何故この様な事象が起きるのか?ということであるが、これは、平等とは物質的な事象でしか測れないということに対して、平等という解釈が成り立たないという現象が起きているということである。
「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである」・・・フリードリヒ・ニーチェ
この名言は、以前にも紹介したことがあり、私の好きな名言の1つである。これは1つの真理である。すべてがそうだとは言わないが・・・。
平等というのは「事実的物質の量」や「ただ単に事実」ということのみで表現されるべき言葉だと私は考えている。
例えば、「給料」なんかが分かりやすい。週40時間働く正社員だとして、5人の人間が仮に月20万手取りでもらったとする。しかし、必ずと言っていいほど不満が出る。「自分がみんなより一番働いたのに不平等だ!」、「一番実績があるのは自分なのに不平等だ!」、「アイツはサボっていたのに不平等だ!」・・・ETC
週40時間働いた事実は同じでも、同じ金額であれば平等のはずなのに何故か不平等だという不満がでてしまう。事業所主は労働者の「時間」という事実を買い取っているから起こる現象である。時給や日給、月給という考え方には一定の仕事ができるが前提ではあるが、仕事ができたかの解釈ではなく仕事をした時間という事実に基づくものである。
「平等」という概念が成り立つためには「納得する」ということが不可欠であるが、人間中々納得できないものである。同じ扱いを受けていたとしてもだ。
「十人十色」という四字熟語があるが、人間は考え方も違えば身体能力も違う。見た目も違えば能力も違う。「そんなことは分かっている!」と思う人が大半であると私は考えている。それなのに平等を求めてしまう。
「平等」という概念は、ある意味「我慢の方法」だと私自身は考えている。また、「我慢をさせる方法」と言ってもいい。「相手も同じだから我慢する」、「他の人と同じ扱いをしているから我慢をしなさい」等と言った具合である。
ただ、私は「平等という概念が悪い!」と言っているわけではない。私も仕事上、お客様や職員には平等に接することを心掛けているし、もし世界が本当の意味で平等になるなら、それは素晴らしい事かもしれないとも思う。まあ・・・平等を目指した社会主義はことごとく失敗したが・・・
人間は事実よりも解釈の方が先立つ生き物である。同じものを食べようが、同じ給料をもらおうが、同じ扱いを受けようが、必ず不満を言う人がいるのが何よりの証拠である。
なので、平等という言葉は本当の意味であり得ないと理解し、「まあ世の中、不平等にできてる!」と考えられる方が、不満も少なくなる。不満が少なくなればなるほど、面白い人生を生きれる可能性も高くなる。