哲学ブログ

恋愛脳~幻想・財産~

「恋が入ってくると、知恵が出ていく」・・・ローガウ

「恋の始まりは晴れたり曇ったりの4月のようだ」・・・シェイクスピア

「女心(男心)と秋の空」・・・日本の諺

 昔、何かの本で「恋愛とは脳が起こす幻想にすぎない!」と記載されていたのを読んだことがある。恋愛は一時的な中毒症状らしい。恋をするときはドーパミンやノルアドレナリンなどのホルモンが大量分泌され、その症状は麻薬であるコカインが与える影響に非常に似ていると言われている。ある意味、脳内麻薬による作用の1つという事である。

 恋愛を司る脳の部位は、原始的な脳と言われる部分である脳幹と大脳基底核の中にある腹側被蓋野と尾状核というところである。それは言い換えると、恋愛は感情より本能的欲求に近いということである。しかも、前頭葉という部位の働きを抑制するため、判断基準があいまいになったりする働きもあったりする。

 「吊り橋効果」という、吊り橋で異性に告白すると成功率が高いという話がある。それは、吊り橋にいると怖くてドキドキしてしまう状態で、異性に告白されると、吊り橋にいて怖くてドキドキするのをその異性に対してドキドキしていると脳が勘違いしてしまうために起きる効果である。

 脳からしたら、生物的な危険のドキドキ感も、異性に対するドキドキ感も同じらしい。であれば、恋愛も一時の感覚であり、確かに幻想と言っても過言ではない気がする。まあ、脳は意外に原始的なのである。

 人間は良くも悪くも「何故?」という事にこだわり、その結論を導き出そうとしてきた。そして今日では、人間の感情を司る脳の部位や、どの部位がどういう働きをするか等が、MRI等で分かってきた。ただ、ここで1つの誤解が生まれているのではないかと私は考えている。

 それは、脳の部位の作用で原因がすべてわかったかのような錯覚に陥ることである。脳のどの部位がどういう働きをするかが解明できてきたため、薬などでも色々な対応が出来てきたり、運動療法などの効果にもエビデンスが分かってきた。それはそれで喜ばしい事である。しかし、その根底にある十人十色の心理や真理は説明がつかないのもまた事実であり、分らない事である。

 とどのつまり、恋愛脳で言えば、恋愛に対して脳がどう作用するかは分かってきても、何故その異性にその人が恋愛感情を抱いたのか?等は分からないのである。そして、脳の一時的作用であるなら一時の感情であり、正常な状態ではないとも言えるから、無意味であったり、人生においてマイナスであったりという事を考えそうだが実際にはそうではない。何故なら人生における財産の1つは出会いであるからだ。もちろん異性に限らずだが、異性との出会いもまた財産の1つである。

 脳が勘違いしようが、判断基準が鈍ろうが、麻薬的な中毒症状であろうが、恋愛自体の経験は人を大きくさせる。まあ、時には駄目になる人もいるが・・・しかし、その培った人生の一部は麻薬に匹敵するほど大事な時間であったこともまた真理である。

 脳の作用からして一時の感情かもしれないが、それはそれで、その間に培ったことや異性を大事に思えること自体は人生において有意義なはずである。そして良くも悪くもかもしれないが、その経験は人生の財産の一つになる。であれば、脳の作用がどうあろうが関係ない気もする。

 幻想でも中毒でも、その時に幸せを感じるのであれば、それを楽しみ、その後は追憶として記憶の宝物にした方が、脳科学的に恋愛がいかに下らないと言われようとも、人生は面白く生きれると思う。

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yu-sinkai

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