「あらゆる宗教は道徳をその前提とする。」・・・カント
「人間が宗教をつくるのであって、宗教が人間をつくるわけではない。」・・・三木 清
日本人は外国人からよく「宗教に節操がない!」と言われるらしい。日本人も自分は「無宗教」と思っている人が多いと思う。日本で一番多い宗教は「仏教」であり、その中でも親鸞聖人の「浄土真宗」が多い。
しかし日本人は、おそらく殆どの人が自分の先祖代々から受け継いでいる宗派を知らない。だからこそ宗教は無関係と思い、むしろ「オウム真理教」「統一教会」「法の華」等の新興宗教等を本当の宗教と思い、「宗教は、人を洗脳する怖い物・・・」等と思っている。
外人から見たら確かに「宗教に節操がない民族」と思われるのもうなずける。ただ、日本人は宗教が生活に根差している国もないかもしれない。根差し過ぎているからこそ「宗教」とあまり意識しない民族なのかもしれないと、私は思う。
例えば、初詣に行く人は多い。12月31日~1月1日の間に、眠いのを我慢して、しかも寒い日に多くの人がお参りしているのである。亡くなったら、殆どが仏教様式だが、葬式をする。ほとんどの親が子供の、7・5・3はする。
もともとは、江戸幕府の4代目、徳川綱吉が長男の健康を祈ったことから始まったとされているが、子供の健康を祈る行為は、宗教的活動である。
ただ、日本人は宗教的活動が当たり前すぎることと、仏教・神道・キリスト教等が混ざり合っていて、どの宗教か分からず受け入れていることや、あまり細かい宗派の違いを気にしないところで、宗教があまり意識されないだけなのかもしれない。
また、日本人は「古事記」が日本神話であり、他の諸外国であれば、その国の成り立ちは「神話」から教えられることが多い。
「ユダヤ教は旧約聖書」「キリスト教は新約聖書」「イスラム教はコーラン」、一神教三大宗教の聖典であり、実は言い換えればその国の神話である。「ギリシャ人もギリシャ神話」、「エジプト人もエジプト神話」、「インド人はインド神話(ヒンドゥー教・・・最初はバラモン教)」等を、その宗教に属している人は、その神話を学ぶ。
しかし、日本人は日本がどのように成り立って、どのように日本人として日本を統治していく日本の神々の物語である「古事記」を知らない人が多い。それは何故か・・・
日本は平安時代に「神仏習合(神(日本神話)も仏(仏教)も同じ扱いにする!)」という形をとったが、明治時代に「日本のオリジナル宗教(古事記)で行こう!」となり「廃仏毀釈(仏教弾圧)」を始めた。
そして、元々の神道による日本神話である「古事記」に基づいて「天皇は神の子」という「日本国のアイデンティティー」を作り直したわけである。そこから「世界的戦国時代(私が勝手にそう呼んでいる時代)」が続き、大東亜戦争(第2次世界大戦)が起きる。
その後、日本が「神道」のせいで戦争を起こしたという、些かお門違いなGHQの発想で、義務教育で「古事記」の内容は教えられなかったらしい。しかし、どの国でもその国をつくりあげた「神話」は基本的に小さいころから教えられているのである。
日本は元々「神道(多神教)」であり、ちなみに日本の最高神は「天照大神」であり、「太陽の神様」である。細かく言うとその前にも神々はたくさんいるが、とりあえず省く。エジプト神話も最高神は太陽の神「ラー」であり、「太陽=人間にとって重要」というのは、世界共通である。ただ、天照大神は「女神」である。「女神」が最高神なのは実は珍しい。
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の元祖神話は「旧約聖書」だが、神が最初に作った人間は「アダム」であり男性である。そのアバラからできた人間が「イヴ」で女性ができる。男性から女性ができるというのが最初の物語であり、現代では「男女差別」と言われそうだ。
日本神話にあたる「古事記」は元々、天武天皇が稗田阿礼に「各国を回り、各国の神話を覚えてこい!日本の神話をつくるぞ!」というところから始まり、和銅5年(712年)に太安万侶が編纂し、元明天皇に献上されたことで成立する書物である。
しかし、日本史の始まりが記録されている時代は飛鳥時代であり、その始まりは「仏教を国教化するかしないか?」から始まり、有名な「大化の改新」につながる。つまり、日本史の始まりは「神道をとるか?仏教をとるか?」から始まるのである。
そして、「神仏習合」ができる。ただ、あまり神道は「救いに対する教え」というものはない。「古事記」という物語から、人間はどうした方が良いか?というようなヒントを紐解く事はできるが、仏教の様に「こうすれば救われる!」という事はない。
なので、仏教は国教化していったと言える。どんな人間も「救われたい」という本能があるのかもしれない。
そして、元々が「多神教」だった為、仏教やキリスト教等も受け入れられたとも考えられる。日本の神様は所謂「八百万の神」であり、そこに1柱・2柱(神様の数え方は「柱」である)が増えても、然程抵抗がないところもあるのではないかとも考えられる。
そのようなことを考えていくと、日本人は宗教に節操はなくとも、実は信仰心がある民族なのかもしれないと、私自身は考えている。
詐欺的な新興宗教は置いておき、基本的に宗教は「人間を救うため」に進化した思想でもある。そんなことを考えていくと、もしかしたら宗教活動が当たり前になって、宗教活動とわからないほどになっている日本文化には、自然と「人を救う」という思想があるのかもしれない。
宗教を進めているわけではない。ただ、人間的な本能により進化した宗教について学ぶことも、人生を面白くするための考慮材料になると考えている。