「未来を見て点を結ぶ事はできない。過去を振り返って点を結ぶだけだ。だから、いつどうにかして点を結ばれると信じなければならない」・・・スティーブ・ジョブズ
点と点を結び線にする。線が増えれば図形が出来て、いずれ立体化する。そのことを経営や人生に例えることがあり、私もそのような話を幾ばくか聞いたことがある。しかし、そのもともとの「点とは何か?」という事を、あまり考えたことがなかった気がする。
では、その結んでいかないといけない点とは何なのだろうか?と考えた時に、その答えは知識や経験だと考えている。インプットされた知識や経験は、それだけでは点であるが、違う経験や知識は結びつくことがあるからである。
例えば調理の例で言えば、昔、私がジャムをつくる時にジャムは砂糖と果物のペクチンという物質が化合して、ドロドロというかネバネバというか、ジャム状になると学んだ。その後、調理師の勉強をしているときに、刻んだ野菜を水にさらすと、水の無機質と野菜のペクチンという物質が化合するため、野菜がシャキシャキするという事を学んだ。
であれば、野菜にもペクチンという物質があるので、野菜でもジャムが作れるという事が分かるのである。まあ、野菜でジャムを作ろうと思わないので作ったことは無いが、野菜ジャムを作っている人は実際にいる。ジャムを作った経験や知識という点と、調理師の勉強の内容の点がが繋がって線になったという事である。
経験も一緒で、自分が経験していたことが、他の知識や経験とむずびつくことで実際に役立つことも多々ある。私は調理師で働いていたが、現在は社会福祉士として相談役をしている。結構料理の話で相談に来る介護者と雰囲気が打ち解けられることもあり役に立ったりする。ただ、知識や経験が点として、結び付く可能性があるかもしれないと認識しているかしていないか、またその知識や経験があるかないかで、人生の面白さが変わってぅると思う。
今後日本は少子高齢化が続き人口は減る。また、AIによって仕事が変わっていく等の相対的未来は簡単に分かるが、自分がどうなるかの絶対的未来は分からない。もちろん何年後かに「こうなろう!」という目標未来はあったとしても・・・ただ、人生は「今」の連続でありその先に未来があるというのは真理である。
自分においての未来とは、言い換えれば、過去の自分が創ったことによっておこる現象である。そこで大事な事は、過去の自分が知識や経験という点をいかに学ぶかで、自分の未来でどういう線にするかという人工反応を起こせるか?という事である。
「今」の連続は常に過去になる。であれば、過去に自分の知識や経験の「点」になる材料をたくさん持ってた方が、行動に移すための「線」になりやすいのではないかと考える。よく勉強会や研修会、意に沿わない経験をするとき等、「意味がない」と言う人がいる。それは言い換えれば、学んだことを自分の人生の一つの「点」にすることが出来ない人である。
知識や経験をただ「意味がない」と思う人は、おそらく何をしても「意味がない」と思うものではないかと思う。「意味がない」=「無駄」という事であるが、言い換えれば「無駄」な経験が多い人となる。ただ、経験が無駄になるかどうかはその人次第である。
どれだけ知識や経験も、「点」を作れなければ「線」にもならないため、その知識や経験を得た時間だけ、意味ないどころか無駄になる。ただ、言い換えればどんな知識や経験も自分次第では「点」となり、それをつなぐ「線」となる可能性がある。そう考えると、どんな知識や経験も無駄になる事はないはずである。
「知恵能は、身に付きなれど荷にならず、人は重んじ恥ずるものなり」・・・島津日新公
知識や能力は、どれだけあっても荷物にはならないという事である。そして、身に着けていれば、いずれ役立つ可能性がある。
自分が得てきた知識や経験というのは、刹那的なものである。しかし、刹那的な「点」ではあるが、その刹那的な「点」をつなぎ合わせて「線」にすることは、刹那的なものから持続的なものになるのではないかとも考える。
知識や経験は学びである。その場では役に立たないかもしれないが、過去の学びが未来の自分を創るのであれば、自分を創る材料がたくさんあったことに越したことはない。自分を創っていく材料がたくさんあった方が、人生面白く生きれるはずである。