哲学ブログ

神から人間に~日本人神話~

 「むかし、古事記の時代に在っては、作者はすべて、また、作中人物であった。そこに、なんのこだわりもなかった。日記は、そのまま小説であり、評論であり、詩であった。」・・・太宰治

 世界各国、様々な神話があり、人間はどうして創られたかを説明してきました。

 旧約聖書では、神が自分を模倣した創造物として土(アダマ)の塵からアダムという男を創り、そのアダムの肋骨の1本から女性のイヴをつくります。

 古代ギリシャでも人間は土より生まれたと考えを持っており、ギリシャ神話は最初の神である「天空の神ウラノス:男」と「大地の神ガイア:女」の話から神々の物語が始まりますが、人間もガイアの子供ということで、神々の世界から人間も誕生します。

 最古の神話であるメソポタミア神話では、下級神の仕事を請け負う物として粘土板から創られたのが人間という話になります。

 これらに限らず、進化論を科学的に解明できない時代では、想像の産物の共有に神話があり、その中で人間の創造について説明してきました。では、日本神話は人間の創造をどう説明するのかを、ざっくり簡単にご紹介します(*^_^*)

 ちなみにいろいろな説はありますので、そこは悪しからず・・・

神から人間に~古事記編~

 日本神話を記しているのは、言わずもがなですが古事記です。古事記の始まりは、まず混沌(カオス)とした世界があり、そこから神が生まれます。このくだりはギリシャ神話と同じですね。そこで「雨之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)」というフワフワしたような形のない神が生まれます。

 そこから同じような形がないフワフワしたクラゲのような神が4柱生まれます。(神の数え方の単位は日本では「柱」です)。この5神は「別天神(コトアマツカミ)」と言われます。・・・覚えずらいですね(・_・;)

 そこから人間と同じような性別がある神が生まれます。その最初は「宇此地邇神(ウヒジニノカミ):男」とその妹の「須此智邇神(スヒチニノカミ)」です。・・・覚えずらいし、覚えなくていいとも思います(~_~;)そこから兄と妹セットの神が4セット生まれて、その4セット目が「伊耶那岐神(イザナキノカミ):イザナギノミコト」と「伊耶那美神(イザナミノカミ)イザナミノミコト」であり、日本を創ります。

 イザナミノミコトとイザナギノミコトの話になるとどっちが男(兄)で女(妹)か分からないので、イザナギ♂・イザナミ♀という風に表現します。

 そこで、フワフワした神のどれかが、イザナギ♂とイザナミ♀に矛で大地を固めるように命じます。そして、天界からフワフワしている混沌的な世界を矛でイザナギ♂とイザナミ♀がかき混ぜることで小さい大地ができます。

イザナギとイザナミ 日本創生

こんな感じらしいです (^_^;)

 そして、なんやかんやあってイザナギ♂とイザナミ♀が子作りを始めます。2回失敗してますが、最初にきちんと生まれたのはなんと「淡路島」です。その後に四国やれ九州やれ生まれます。これを「国生み」というそうです。その語に河の神や大地の神等を生んで、最後に火の神を生んだ時にイザナ♀が火傷して力尽きます。その時も色々な神が生まれます。

 そして、イザナミは黄泉の国に行き黄泉の国の食べ物を食べ黄泉の国の住人となります。ちなみにその火の神は「火之神迦具土神(ヒノカグツチノカミ)」と言いますがイザナギ♂が殺します。そこからまた色々な神が生まれます。岩・剣・雷・炎、坂なんかの神です。 

 「火の神殺して炎の神生まれるん?」や「坂の神って何ですか?」というよなツッコミは置いときましょう。特に当時の人たちは気にせず古事記を読んでたそうです(^_^;)また、日本は昔は親戚同士の結婚などの近親相姦が多かったのも、イザナギ♂(兄)とイザナミ♀(妹)の子作りのせいだと私は勝手に思っています。

 そして、黄泉の国に行ったイザナミ♀に会いたいイザナギ♂は、黄泉の国に行きます。イザナギ♂が黄泉の国の門前で「迎えに来た!戻ってきてくれ!」と話をします。そこでイザナギ♀は「黄泉の国の食べ物を食べてしまったから黄泉の世界の住人になってしまったから無理!」と言います。

 「そんなこと言わないで戻ってきてくれ!!!」と必死にイザナギ♂が話します。そこでイザナミ♀が「黄泉の国の神と話をしてみますので、待っててください!決して中を覗かないでください!!!」と言います。

 そこで待てないのが男です。イザナギ♂が黄泉の国にはいりイザナミ♀を覗きます。するとイザナミは顔が腐食していてウジがわいており醜い姿になってました。それをみたイザナミ♀は「こんな姿みられたくなかったのに(# ゚Д゚)許さん!!!」とマジ切れして、追っ手を放ちイザナミ♂を殺そうとします。

イザナギ 黄泉の国脱出編

 桃なんか投げてなんやかんやで逃げ切ったイザナギ♂です。当時、桃は神聖なものとして描かれます。実は古事記が出来上がったのは西暦7⒓年頃で、その当時に桃は中国から輸入されるようになり、桃は「新しいカルチャー」として紹介されているという話もあります。まあ、置いときまして・・・ここで

 イザナミ♀は「愛するあなた!そちらの国の人間を1日1000人殺します( `ー´)ノ」と言います。そこでイザナギ♂は「そうか愛する妻よ!私は毎日1500人の生命をこの世に生まれさせよう(/・ω・)/」と言います。

 「ほんとに愛してるの?」というツッコミや、「この時点でちなみに人間はいないはず!」というツッコミも置いておきましょう。

 ただ、ここから人間は必ず毎日死ぬが、必ず毎日生まれるという概念、言い換えれば「生と死」の概念が生まれます。

 「チョイ待って・・・イザナミ♀は死んで黄泉の国に行ったし、火の神も殺されて死んだんだよね!!!」というツッコミも、ここでは置いときましょう・・・

 そして、イザナギ♂が「黄泉の国マジ怖かった(~_~;)・・・川で体を清めよう!」と言って川で体を洗っていると色んな神が現れ、左目・右目・鼻を洗った時にウルトラスーパーレア神の「天照大神(アマテラスオオミカミ)」・「月読命(ツクヨミノミコト)」・「建速須佐之命(タケハヤスサオノノミコト)」という、三つの貴い神という「三貴神(さんきしん)」が生まれます。

3貴神の誕生の元

 ちなみにツクヨミノミコトは三貴神にもかかわらず、ほとんど登場しません。基本的にはアマテラスオオミカミ(以後アマテラスと書きます)とスサノオノミコトやその子孫の話が主です。

 ここからメチャクチャ省略します。色々ありまして、アマテラスの孫である「邇邇芸命(ニニギノミコト)」が日本を統一するために、現在の宮崎県の高千穂に降ります。アマテラスの孫が天から降臨したというので、これを「天孫降臨」と言います。

 この省略している中に、「天の岩屋戸」・「ヤマタノオロチ」・「因幡(イナバ)の白兎」なんかの話がでてきます。

 ちなみに、天孫降臨ときにアマテラスからニニギノミコトは「鏡・草薙剣・勾玉」を渡されます。それらが「3種の神器」と言われるようになり、平家物語なんかでもでてきます。まあ、どれかは海に沈んだと思いますが(~_~;)

 で・・・話を戻しまして、ニニギノミコトが高千穂に降臨して、日本を治めていこうとします。このころの日本は関東から北はまだ日本に入っていなく、九州・四国・中国ぐらいの範囲です。

 そこでニニギノミコトが「木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤビメ)」という美しい神を見かけて「アーン・・・結婚したい!!」と思い、コノハナサクヤビメに名前を聞き求婚します。(この当時は「名前を聞く」=「求婚」という文化らしいです)

 コノハナサクヤビメは「父に聞かないといけない!」と話をします。父は大山津見神(オオヤマツミノカミ)と言う名前です。ニニギノミコトは神中の神であるアマテラスの孫ですから、父は「そんなエリート神が嫁に貰ってくれる有難い。コノハナサクヤビメの姉もセットでお届けします!」とニニギノミコトに話します。

 コノハナサクヤヒメの姉は「岩長此売(イワナガヒメ)」と言います。

コノハナサクヤビメの親族

 ニニギノミコトのところに、「コノハナサクヤビメです!」「イワナガヒメです!」と姉妹がセットで嫁に来ます。そこで、ニニギノミコトは「ようこそいらっしゃ・・・・い?えっ?」となります。イワナガヒメが不細工だったことに驚いたのです。

 そして、「イワナガヒメさん・・・お疲れさまでした!お帰りの道はあちらになります!!」と言ってイワナガヒメをオオヤマツミノカミのもとに返します。

 すると、オオヤマツミノカミは「姉妹セットに意味があったのに・・・」とニニギノミコトに説明します。「コノハナサクヤビメ」は「花が咲き誇る栄光」を意味します。しかし花は咲いてもすぐ散ります。「イワナガヒメ」は「岩のように丈夫に長く永遠の命」を意味します。岩はキレイではないが丈夫で長く存在します。

 ニニギノミコトに「花が咲く栄光が岩のように長く永遠にあるように」という意味を持たそうとしたのです。しかし、不細工だからと見た目で判断してイワナガヒメを拒んだことで、「岩のように長い永遠の命」を拒んだという事になります。

 ニニギノミコトは神で寿命はなかったのですが、見た目に惑わされて永遠の命を拒んでしまったがため、「いずれは死ぬ運命」という寿命が発生します。人間のように。

 もちろんニニギノミコトの子孫もです。ここから神は人間になっていく事になります。ここが人間になる節目と言っても過言ではないです。ちなみに寿命はイワナガヒメの呪いという話もあったりします。

 ここまで神は殺されたりはするものの、寿命を迎えるて死ぬという事はなかったんですね。ニニギノミコトとコノハナサクヤビメの子供である「海幸彦(ウミサチビコ)と山幸彦(ヤマサチビコ)」の話があり、ヤマサチビコの孫が初代天皇と言われる「神武天皇」となります。

 ニニギノミコトから3代にわたって神が完璧に人間になり、「神々の時代」から「人々の時代」に移っていくことになったのでした・・・

 日本人の「生と死の概念」はイザナギ♂とイザナミ♀の「夫婦喧嘩」によって始まり、「寿命の概念」はニニギノミコトが「女性を見た目で判断した」事によって始まり、「神は人間になった」というのが日本神話である古事記の説明ですね(^_^;)

 まあ、「男は女を見た目で選んではいけない!」みたいな教訓の気もしますが、そこもまた置いときましょう(;一_一)

 多神教の神話にでてくる神は、基本的に人間らしくというより、人間より横暴だったりします。調べてみるとメチャクチャ面白いです。

 ただ、その中でも昔の人は神話から「人間のアイディンティー」を見出そうとしていると私は思います。なので、神話を知ることはある意味、人間的な本能を知ることでもあり人生を面白くしてくれる物語なのかもしれないと、私はそう言う風に勝手に解釈しています!

でわでわ( 一一)

天照大神
天照大神

 

 

  • この記事を書いた人

yu-sinkai

-哲学ブログ