「自分が何を望んでいるのかもわからない、不満で無責任な神々ほど危険なものがあるだろうか?」
「『私たちは何になりたいのか?』ではなく、『私たちは何を望みたいのか?』」
上記の言葉は、以前も紹介させて頂いたサピエンス全史という本の最後に出てくる言葉である。現人類であるサピエンスは、約7万年前に「認知革命」を起こすことで「虚構の共有」という、フィクションを大勢で信じることで、莫大な力を得てきた。
この莫大な力でサピエンス以外の人類を滅ぼし、人類の中での王となる。またこの「虚構の共有」は、宗教を有効に活用するだけでなく、社会主義、民主主義、自由主義、経済と現代においても、あらゆるものを思想で共有することで、多くの人間の行動において統一を図っている。
一万年前程には「農業革命」を起こし、それまで移住していたサピエンスは定住するようになり、多くの子孫を残すことに成功した。子孫を増やすことに関しては、移住はあまり向かなかったらしい。また、酪農も開発され、鶏や豚、牛等を家畜と称し、自分達の都合の良いようにその他生物を扱うようになった。
400年前程には「産業革命」を起こし、豊かな生活になっていき、不自由がなくなっていく半面サピエンス自体の生活もめまぐるしく変化していくようになった。
蒸気機関車により人の行動範囲や物流の範囲が非常に広くなり、国内できちんと統一されていなかった時間を統一しなければならなくなり、時間に非常に縛られるようになる。現代では時間に限らず、スマホにより人のつながりがネット上でも安易にできる反面、他人に非常に縛られるようにもなる。
そして、私達サピエンスは現在70億人という、地球上で最も種の繁栄に成功した存在となる。その分様々な種族を滅ぼしており、また人間にとって食肉になるような動物は莫大に種の繁栄をさせてきた。そして現在では「神の領域」に達して来ていると言っても過言ではない。
「神の領域」とは、生命を操ることや生み出すことに他ならない。
もちろん、人間は古来より自分の生活に役立たせるために、さまざまな動物を利用してきた。農業革命により酪農も取り入れら牛や羊から乳や乳製品を生産してきたし、紀元前1200年ごろに古代エジプトでは人間が鞭を持ち、2頭の雄牛に荷を引かせている図がある。
他にも、馬やロバ等に乗ったり、馬に人や荷物を運ばせたり、鳩に手紙を届けさせたり、鷹に兎等の獲物を狩らせることなどもしてきた。
養殖も盛んになり、ただ食べるためだけの目的ではなく、「おいしい肉」になる目的で養殖をするようにもなる。下記のように・・・
しかし現代においては、このような所業以上に遺伝子工学が発展しており、ある種違う動物さえ生み出せるようになる。肉体の一部を違う生物に移植したり、滅びたネアンデルタール人の遺伝子より、遺伝子工学と人工授精の技術を掛け合わせ、現代にネアンデルタール人を生み出そうとさえしている。
上記の写真はサピエンス全史のスクショである。文化や科学が発展し、生命自体を操るところまで人間は進化した。今後も宇宙には現在よりも行きやすくなるだろうし、AIの発展により人間が深く考えなくてもよい日が来るかもしれない。そして、亡くなった人の遺伝子で亡くなった本人は無理でも、同じ遺伝を持った人を再生できる未来も遠くはない気がする。
「しかし、人間は幸福に確実に向かっていると言えるのだろうか?」
「人間は幸福になるために生きる」・・・アドラー心理学の根幹でもある発想である。文化や科学の発展は確実に人間に「便利」を与える。これはゆるぎない事実である。しかし、人間に「幸福」を与えているかというと、微妙である。
そこで冒頭の言葉の『私たちは何になりたいのか?』ではなく、『私たちは何を望みたいのか?』というほうが、重要なのではないか?とサピエンス全史では指摘するのである。「人間はどこに向かっていくのか?」という哲学の原点も大事だと思う。
文化や化学・・・人間には切っても切り離せないものである。しかし、そこだけに依存することでは幸福にはなれないと感じる。そして、サピエンスという現代人がどこえ向かおうとしているのか、私にはわからない。
私たち人間が、「何になりたいのか?」「何を望み生きていくか?」「生きる意味の根源は何か?」等、この問いに近づくことができれば、ある種、人生を面白くするスパイスになるのかもしれない。