「苦労せざるものは幸運に値せず」・・・レオナルドダヴィンチ
「苦しみと悩みは、偉大な自覚と深い心情の持ち主にとって、つねに必然的なものである」・・・ドストエフスキー(罪と罰)
最近思います。水戸黄門ではないですが、「人生楽があるから苦がある」というより、「幸があるからこそ苦がある」のではないのかなと思います。また、苦の中にも幸があり、幸だったからこそく苦に転換するものなんじゃないかなぁ~とも考えます。
有名な漫画でアニメでもある「北斗の拳」を例に挙げると(分からない方は申し訳ないです💦。)「愛深き故に愛を捨てた男"サウザー"」がいい例だと思います。
自分の愛する師匠が死んださいに、師匠を愛しすぎているからこそ苦しみ、それ故に愛を捨てたという話しです。(いろいろと省いてますが・・・)
仏教でいう所謂「愛別離苦(愛するものと離れる苦しみ)」ですね。ただ、ここで少し疑問があります。離れるまでは愛する人といれたので幸せだったんじゃないかなぁ?なんてなんて(^_^;)
この、愛別離苦の苦しみを避ける方法は「愛する人がいない」事です。となれば、「愛する」ことを知らずに死ぬことが、幸福になるとも言えます。でも、おそらく幸も不幸もなく、つまんない人生でもある気がします。
他の例で「求不得苦(得られない苦しみ)」で考えた時に、得られない苦しみとは言い換えれば「得られたことの体験があるが故に、得られない苦しみを知る」と解釈してもよさそうだと思います。何かしら得られて幸の状態があるからこそ、得られない時に苦になる気がます。
「五蘊盛苦(脳や五感等が敏感過ぎて苦しんでしまう事)」も、人間は脳や五感が優れているからこそ、食物連鎖の上になっただけでなく、幸になる為のエンターテイメントや美食、安全な家屋等を文明として築き上げたわけです。
でもまあ、「苦」という感情は付きまといますさね(-_-;)ただそこでふと、こういう幸があったから苦しんでいるんだと思った時に、その時の幸という感情が貴いものであれば、ある程度、苦も我慢できるというか、納得できるのかなぁ~・・・なんてなんてHyper-是空的にどうでもいいことで自問自答している今日この頃でした(・_・;)