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虚無感?~無口な操り人形~

「人生とは孤独であることだ。誰も他人を知らない。みんな独りぼっちだ。自分一人で歩かねばならない。」・・・ヘルマン・ヘッセ

「一段深く考える人は、自分がどんな行動をし、そんな判断をしようと、いつも間違っているという事を知っている」・・・フリードリヒ・二-チェ

 「無口な操り人形に乾杯。今日の講演(公演)お疲れ様と・・・」時折、私が私自身を労う言葉です。

 人間の感情には様々な名前がついています。「喜怒哀楽」から始まり、「愛」だの「信頼」だの「期待」等とあり、私的には仏教の禅宗的な人が言うような「無」というのも「無という感情」と思ってしまいます。

 人間は感情的な生き物だからこそ、言い換えれば、面倒くさい生き物なんだと思います。

 勿論、人間以外にも動物にも感情があると思います。ただ、その感情がなんやかんやで複雑なのが人間だなぁ~等と思ってしまいます。 

 上記にある「無口な操り人形に乾杯。今日の講演(公演)お疲れ様と・・・」という文は、私が高校生の頃にギターで曲作りをしており(ちなみに、私はオタマジャクシが読めません( 一一))、その時に友人が書いてくれた歌詞の一部です。

 時折自分が、「無口な操り人形」と思うことがあります。無口と言ってもしゃべらないわけではないです。むしろ私はメチャクチャしゃべります。基本的に仕事は「相談員」なので、喋るのが仕事と言っても過言ではないです。

 ただ、「相手にあわしたしゃべり」しか、しないのも事実です。それはお客様にも限らなく職場の職員や友人に関してもですね💦それなりに楽しくしてますが・・・まあ、私の性格なのかもしれません(;^_^A

 「虚無感」というか、むしろ「名前のない感情」と言えばいいのか、時折そういう感情がでることが私にはあります。言葉で言うと「虚無感」が近いのですが、多分そうでもないとも思います。

 なんか・・・「どうでもいいっす!!」と思いながらも、「これはどうでもよくない!」等との考慮戦争が、頭の中で勃発している感じですね・・・なんてわかりにくい例えで申し訳ないです(;一_一)

 人間は元々不安に思うように進化しており、「生物・人間・人工」の3つのカテゴリーの乖離に悩まされていく生き物だと、私は思っていますが、さらに人間が面倒くさいのが、おそらく(私個人の解釈です)、「他の動物より我が強い」という事です。そしてそれは、人間は「個人」というカテゴリーも千差万別で考えないといけない面倒くさい生き物だと思います。

 なんか。「虚無感」なのかよく分からない感情と最近向き合い、自分は「無口な操り人形」かな・・・と思い、考慮迷子になっている今日この頃でした(・_・;)

操り人形

 

 

 

 

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yu-sinkai

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