哲学ブログ

矛盾の必然~虚構~

 「人間とは、パラッドックスの体現であり、矛盾の塊である。」・・・オーギュトス・コント

 「矛盾を抱えた人間のあり方そのものを『喜劇』と言っているのだ。」・・・三谷幸喜

 「楚人に盾と矛を鬻ぐ者あり。これを誉めて曰く。我が盾の堅きこと、よく陥(とお)す者なきなりと。またその矛を誉めて曰く。我が矛の利なること、ものにおいて陥さざるなきなりと。ある人曰く、子(し)の矛を以って、子の盾を陥さば、如何と?その人、応(こた)うる能(かな)わず。」

 矛盾・・・紀元前3世紀ごろの春秋戦国時代の中国に書かれた書物「韓非子」の中の有名な話である。

 楚の国の商人が盾と矛を売っており、「この盾を貫通できるものはない!」と言い、また「この矛は貫通出来ないものはない!」と盾と矛の宣伝をしていたら、ある人が「じゃあ、その矛でその盾を突いたらどうなるの?」と言ったら、その商人は何も答えられなかったという話である。

 そこから、言っている事につじつまが合わない事等を「矛盾」と我々は呼ぶ様になる。

 基本的に矛盾という言葉は、あまり良い意味ではない。矛盾する事を言う人は、あまり信頼も信用もされない。それどころか、自分の言葉の矛盾に気付かない「頭の悪い人」等とさえ思う人も多い。

 人間は言語でコミュニケーションをとる部分が多いため、言語に対してシビアに考えるようにできているのかもしれない。しかし、人間がこれまで培ってきた歴史や、各々の人生においても、世の中は矛盾に満ちていると思ってしまう。

 それは、人間(サピエンス)にとって「虚構の共有」が人間的本能の原点的な進化だからだと私自身は感じる。

 数学や物理学にはもちろん矛盾はない。『1+1=2」だし、質量とエネルギーの関係は「E=mc2」である。そして、生物学的にもおそらく矛盾はない。

 蛇は神話ではイヴに知恵の実を食べさせた事で足を切断されてあのニョロニョロの形になったと言われているが、足がない方が都合がよかったため、足を無くしてあのように進化した。所謂「退化の進化」という物である。

 ペンギンも鳥類でありながら飛ぶことよりも泳ぐことが重要なため、飛べない様に退化したことで、泳げるように進化した。

 ちなみに、蛇の祖先は脚があり、ペンギンの先祖は飛ぶことができたという生物学的根拠はあるらしい。

 蛇に足がないことも、ペンギンが飛べない事も、その生物の特有の進化過程であり、「進化したのに足がない、羽がない」というわけではな、便利でそうなったことであり、矛盾が生じるものではない。

 そう考えていくと、「人間の世界だからこそ矛盾に満ち溢れている世界である」と仮定できる。言い換えれば「人間は意識や思想の世界に生きているからこそ、矛盾を生じざる負えない」とも言える気がする。

 人間の文化や政治の創作に宗教や思想は欠かせなかった。千や万という人数の統一には、どうしても法律や神等の「虚構の共有」が必要であったからだ。そして、その「虚構の共有」と同時に「矛盾の共有」もセットで人間の進化についてきたのではないかと、わつぃ自身は考えている。

  「一神教」の神様は、「至高神」であり「全知全能」であり、「世界を創った神」である。しかし、その神がいるのであれば、何故「悪」という存在があるのか?という矛盾も同時に抱える。

 ロシア文学で有名な「カラマーゾフの兄弟」という話の中に、イワンという主役級の登場人物がある話をする。

 「まず、ブルガリアの子供の話だ。当時ブルガリアを支配していたトルコ人は、あるブルガリア人の赤ん坊を抱える母親とあう。最初はその赤ん坊をあやそうとし、銃を見せる。そして、赤ん坊が笑った瞬間にその銃でその赤ん坊の頭を打ちぬいた・・・」

 「我が国ロシアの農奴制時代の話だ。ある領主貴族の飼い犬が、片足を引きずっていた。調べると、召使の子供が石を投げて怪我させたらしい。そこで領主貴族はその奴隷の子供を捉えて全裸にさせ、広場の真ん中に立たせた。そして、その子供の母親の前で少年は犬にズタズタに引きちぎられた。」

 そして、イワンは「そんな罪人にも神の国が約束されているのはおかしい。神を認めていないわけではないが、子供たちの犠牲の上に築かれる神の国なんてところは認めないというような主張をする。」

 一神教は「世界が神を創り給うた。」という世界である。であれば、「完璧な全知全能な至高神が創った世界に、何故悪が存在するのか?」という疑問を常に抱えていた。

 多神教はこの問いに関して簡単であった。多神なので「中には悪い神がいる。」という理屈である。

 しかし、多神教は多神教で「どの神が一番偉いか?」という問いの矛盾を抱えていた。

 日本神話であれば、アマテラスが最高神と言われるが、ツクヨミ、スサノオが兄弟であり、親はイザナギノミコトである。「天孫降臨」で有名なアマテラスの孫のニニギノミコトが天皇家の直属の先祖である。

 時代やその土地で祀っている神が違うため、神々のヒエラルキーに矛盾が生じるのである。ちなみに、最初の神は天之御中主神(あまのみなかぬしのかみ)である。

 しかも、多神教の「神話」は人間の同士の「人話(こんな言葉は無いが)」より、矛盾に満ちているストーリーが多い。エジプト神話等は、時代によって話が継ぎ足されていったため、神々の中でもヒエラルキーが変わる。

 人間(ホモサピエンス)がまとまるための「虚構の共有」はある意味「矛盾の共有」と言っても過言ではないという気がする。そもそも「虚構」が「真実や真理」になること自体が、矛盾を生じているのである。

 言い換えれば、我々人間は、

「矛盾する事を受け入れる進化をした。」

 と言っても過言ではないわけである。そして、それは感情や思想等の精神世界の特有な現象である。身体的な事に関しては矛盾はなく、合理的であるからだ。

 「だからこそ、矛盾的な考えをした方がいい。」等と言っているわけではない。科学や物理学、数学等、様々な学問を学ぶが故に、「人間の考え方は、合理的で矛盾を生じるのは駄目である。」等の思想はやめた方がいいと考えているだけである。

 どんなに合理的な人間でも、時折、自分の思想と矛盾した生き方をしてしまうものだからである。「今日は是だったことが、明日は非になる。」という事は、誰でも経験することだと思う。それは、人間的な本能に起因するとも思う。

 何故なら、人間の「心理」に基づくことが大きな原因を占めるからだ。

 この、矛盾に満ちた世界で常に合理的に生きようとすると、大抵生き辛くなるように思う。人間(ホモサピエンス)的な進化をしたからこそ「人間は矛盾に満ちている。」と思えることで、幾何かは人生が軽くなる気がする。

矛盾

 

 

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