「色即是空」・・・すべて「因」と「縁」で繋がっているからこそ存在しているだけであり、その本質は「空」である。
よくわからんですよね(;^_^A
仏教では、すべてのものが繋がりがあるからこそ存在しえるものであり、すべてのものが繋がっているからこそ、自分という変わらない個の存在はないというような考えがあります。
すべての生物・物質は微量ながらも変化していきます。自分自身も変化していくものですので、今日の自分と明日の自分は実は違います。しかし、人間はこの変わりゆく自分を確固たる自分にするために変わらない自分を作り上げようとします。
「本質とは、変わらないものです。」しかし、すべてのものは変わっていく・・・となると、本質的な自分と言うのは実はないということになります。ということは、「自分なんてない」という発想に至るわけです。
簡単に言うと「これが自分だと言えるようなものはない」ということです・・・だって変わっていくから(;^_^)
また、「すべてのものは繋がっている」と言うのは、人間は人間以外のものを食べて生きています。牛や豚なども自分以外のものを食べて生きています。すべてのものが自分以外のもので成り立っているのは、すべてのものが繋がっているということで、これを「縁起」と言います。
例えば、海水から雲ができ、雨が降ると山に川ができます。私たちはその恩恵を受けて水分を確保します。太陽があるからこそ植物ができ、酸素ができ、動物が生まれ、私たちは生きています。私たち人間がいるから滅びた種もあれば栄えた種もあります。
すべてが繋がっている中の一部が自分ということです。
となると・・・「自分」という存在の本質がなく、世の中の本質は「流転する事」となるので、個の本質自体がないことになります。
そう考えていくと・・・自分という概念から解放されて、自分がどうあるべきかなんてあんま気にしなくていいような気もしてきます。だって、自分っていう本質がないから(-_-;)
これが「無我」ってことだと思います。(仏教関係の人が見てたらなんかごめんなさい💦)
ただ時折、「自分」と言う存在にこだわりすぎて、苦しい思いをするときに、こんな東洋哲学も人生を面白くする考え方なんじゃないかなぁ・・・なんて考えたりします( ̄▽ ̄;)