「死を願望するものは惨めであるが、死を恐れるものはもっと惨めである」・・・ハインリヒ4世
ハインリヒ4世は中世ヨーロッパの皇帝ですが、その当時のキリスト教の教皇に逆らい破門されて、雪の日にカノッサ城にいる教皇に、城の前で修道院の服を着て、しかも裸足で3日間「すみませんでした~!!」と反省すると言う歴史上にも稀な「惨め」な思いをした皇帝です。
気になる方は「カノッサの屈辱」でググってみて下さい。で、本題に戻します(*^_^*)
「生老病死」、「求不得苦」・「愛別離苦」・「怨憎会苦」・「五蘊盛苦」・・・知ってる人も多いと思いますが、釈迦が説いた人間にある苦しみのことです。
「生老病死」は、「生まれる苦しみ」(生まれると色々な苦しみがある事)、「老いることの苦しみ」、「病気になる苦しみ」、「死ぬ苦しみ」を一言で表す言葉でして、通称「四苦」といいます。四字熟語の「四苦八苦」の「四苦」です。
「求不得苦」は欲しいものが得られない苦しみ。「愛別離苦」は愛するものと別れる苦しみ。「怨憎会苦」は会いたくない人とも会わないといけない苦しみ。「五蘊盛苦」は、五蘊(ざっくり言うと五感も含めて感性的な事)が盛ん過ぎて、考え込んだりする苦しみ。
「生老病死」の四苦に上記の4つの苦しみを足して「八苦」となり、四字熟語の「四苦八苦」の完成です。
ただ、「惨め」に思ってしまう苦しみは、何なんだろう?と、わけワカメめなことを考えています。多分、人間の苦しみの中でも個人差はあるものの、万人に絶対ある感情的な苦しみの1つでもあると思います。
もしかしたら、「四苦八苦」の苦しみの中には「惨めな感情は共通としてある苦しみ」なのかなぁ~等と思ったりします。
生まれて生きていれば、内容は人それぞれでも、惨めな思いをすることはあります。病気や老い、死も人を惨めにさせる可能性は高いです。欲しいものが得られないことで惨めに思ったり、愛する人と別れたら自分を惨めに思ったり、嫌な人と会うと自分が惨めな気持ちになったり、考えすぎて惨めになったり・・・ETC
「苦しみ」を想像する時って身体的な事は簡単です。「痛い・熱い・息ができない・・・ETC」、ただ、精神的に想像すると難しいものですね(^_^;)
多分精神的な苦しみは、事象より個々の解釈が先立つからだとは思います。まあ、身体的苦痛も人それぞれではありますが、例えば「足を折った!」となると「痛そう~・・・」なんて思いますが、「あの人の顔も見たくない!」となると、「別に良くない?」なんて思う人もいると思います。
「愛別離苦」等の、こういう事象が人間には必ずあり、それが人間を苦しめる真理の1つである!というような事象からの苦しみより、そもそも論、なんで人間は「惨め」って思ってしまうんだろう?みたいな根本真理は何ぞや(-_-;)?みたいな、まあ、超絶至極・特出突出どうでもいい事を考えている様この頃ですさね(・_・;)