哲学ブログ

人間の代替え~文明~

「文明は鉄道客車をつくったが、自己の足を使う事を失った。」・・・ラルフ・ワルド・エマーソン

「人間の文明は、その臆病さとその卑劣な屈辱とのうえに築かれているから、人間はそれを自己の尊厳だと言っている。」・・・ジョージ・バーナード・ショー

 最近では、AI(人工知能)により、人間の仕事が奪われるのではないか?というような議論をちょくちょく見かける。まず、知能という定義自体が統一されていないのに、人工知能とは?と思ってしまうが・・・

 介護の世界でも、AIケアプラン(AIで介護支援計画をつくる)ものや、AIによるコミュニケーション型ロボットなどもでてきている。まだまだ役に立つ段階ではないが、それでも今後はAIが進むにつれて「人工的」な仕事はある程度AIが担うようになると思う。

 ただ、AIが出来る以前に、文明により、人間の代替えの仕事や生活様式は昔から変わり続けている。

 例えば、鉄道や船・飛行機等で、全国各地の食材や物品をどこでも取り寄せられるようになったため、地方の商店街は姿を消した。私が小さい頃は、商店街にそれぞれのお店があり商いをしていたが、物流の進化により大型スーパー等が一式色々なものをそろえるようになり、個々だけを売る商店街は需要がなくなったのである。

 また、印刷業界は、個人個人で印刷機を買える時代になり、印刷専門店の多くは潰れたし、現代も写真屋は、消費者がスマホで写真を自分でプリントできるため、苦しい業界となっている。

 ラーメン屋や牛丼屋等でよくあるフード券販売機等やお客様が個人でバーコードを当てるレジ等も、会計スタッフという人の役割の代わりになっている。現在では、無人コンビニも出来てきており、コンビニ販売員は田舎でも、そのうちいらなくなる。

 おそらく、運転業務的なものもそのうちAIになり、タクシーやトラック運転手等の業界には人財的需要は少なくなる。

 確かにAIは今後も進化し、素晴らしく人間の役に立つものになってくると思う。ただ、AIはすごいのだが、AIと人間を比べるのは如何なものかと、多少疑問に思う。また、同じくAIが何でもできると勘違いするのも如何なものかと思う。

 囲碁や将棋等のAIは、わりかし早く人間世界に参入し、プロを負かすほどになった。そこで、「AIが強ければ、プロの棋士はいらない」という発想になる人もいるが、それは例えば、「短距離走で、人より車やバイクが早いから、短距離選手はいらない」と言っているとの同じである。

 ある種、私は人間が人間のために創った政策や思想、利便性の道具等も含めて、人工と考えている。だからこそ、「人工の産物であるAI」が人間にとって代わる仕事はたくさんある。人工的に作られた仕事「言い換えれば人間が便利になるための仕事」は人工的な文明で何とかなるからだ。

 2年前くらいに、先頭で人間がトラックを運転し、後のトラックはAIが自動運転でついていく実験の動画を見たことがある。運転が自動化できれば、まず運転手はいらなくなる。また、「ホワイトカラー」と言われる、事務所仕事は、AIの得意分野である。

 簡単に言えば、知識や計算をを知恵としてではなく、そのものだけを使っている仕事に関しては、AIには絶対勝てない。同じような例はAI以前からあり、どんな数学者も、計算の速さでは計算機に勝てないようなものだ。

 映画の「ターミネーター」(私は、1と2しか見てないが)、みたいなロボットは、今後つくることができるか分からないが50年~100年後には、まず無理だと思う。2年前に、最先端のロボットの動画を見たが、軽量化されたロボットがが歩く程度である。

 ただ、ロボットの否定をしているわけではなく、人とロボットの複雑性は大分違い、クローンで同じような媒体は作れても、今のところ人間と一緒のロボットはまず無理であり、これからも出来ないとは思っている。

 そもそも、人工知能をつくる前に、「77億人の人間がいれば、77憶の人工知能はある!」そうなると・・・「もういらなくない?」とも思ってしまう。ただ、利便性のための科学を否定しているわけでもなく、現実的に文明の利器やAI(AIも文明の利器だが)により、助かる企業は多いし、人件費よりもその文明に投資した方が利がある。

 人間の文明の利器は、人間どころか自然を超えてきた面もある。例えば、人間は電気を発明して、夜という概念を変えた。それは言い換えれば、自然を変えたと言っても過言ではない。しかし、文明の利器も人間を超えられない面もある。

 自分で考え、自分で行動し、自分で責任を取ることは、人間だからこそできることである。機械も、「バグ」というミスがあるが、機械は責任も取れないし、計算は出来ても、人間みたいな五感は無い。

 また、人間の文明とは?と考えた時に、文明の定義は漠然としているが、私は「人工的な考えのもとにできた文化」だと考えている。農耕の始まりが文明の始まりとも言われるが、農耕は人工的な作業である。

 そして、人間は「穀物の奴隷」と言われることもある。現在では「貨幣の奴隷」なのかもしれない。

 しかし、人間は人工の部分よりも自然の部分の方が大きいと私自身は考えている。以前にも記載しているがホモサピエンスが誕生したのは20万年前であり、文明は最古でも紀元前1万4千年前と言われており、18万6千年間はある意味文明は存在せず、人間は自然的存在であった。

 認知革命がおこり、虚構(神話などの物語のような物)を信用し、共有するようになったのは7万年前である。何が言いたいかと言うと、人間は文明以前に文明以前からの本能があるという事である。

 であれば、AIが出来る事は、人間の人工的な部分のみであり、それはもしかしたら人間全体の生活にとって、人間にとって代わるま期待できる程のものではないのかもしれない。

 文明が進む未来はある意味、相対的で予想はつきやすい。ただ、人間は「人工と自然」が融合したものであると私は考えており、人間は一概に文明の利器より役に立たない存在ではないと考えている。

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