哲学ブログ

怒り・甘え~マネジメント~

 「怒りっぽい人は気が短いのではなく、怒り以外のコミュニケーションを知らないのだ。」

 「カッとして自分を見失い怒鳴ったのではない。相手を支配するために怒りという感情を創り出し利用したのだ。」・・・アルフレッド・アドラー

 アドラー心理学では「怒り」という感情は制御でき、「怒る」こととは無意識ではなく、実は意識的に「手段」として使っているという解釈である。

 よく「アンガーマネジメント」という言葉を聞き、私も仕事上「アンガーマネジメント」の勉強をしている。それは「怒らない様に感情をやりくりする」という物であるが、実は「怒る」人の方が自分に都合よく「アンガーマネジメント」をしているのかもしれない。

 怒りが頂点に達するときに5秒~6秒待てば、怒りが収まってきて突発的に怒鳴る等の行為にはならないらしい。確かにその通りであると私も思う。ただ、人間は「怒る相手」を意識的になのか無意識的になのか・・・おそらく意識的に選んでおり、「怒れる相手だから怒る」という現象になると私自身も考えている。

 例えば、会社でその会社の中でのヒエラルキーで同じ地位の人か、部下等の自分以下の権力者によく怒る人はいても、上司に面と向かって怒る人はあまり見ない。上司の方に腹を立ているとしてもだ。むしろ、上司からのストレスを受けて、部下に当たり散らす人もいる。要するに「憂さ晴らし」である。

 この場合は「上司から受けたストレス」が原因で部下に当たり散らすことのトリガーになる理屈は分かるが、「部下だからこそ当たり散らすことができる」という、意識的な計算ができているからこそ、上司には怒れず、部下に怒るという事である。

 ある意味、それはそれで「アンガーマネジメント」でもあると思う。ただし、本来の損得で考えると、自分のためのマネジメントにはならないが・・・

 「怒り」の感情は私自身もよくわかる。そして、それが時折「非常に抑えがたいもの」という事も身をもって解っているつもりである。それと同時に、「怒り」は向けれる人にしか向けれないという現実もよく解っている。付け加えるなら、「怒り」を向けたくない人には我慢も出来るという事も解っているつもりである。

 人間は個人個人の培ってきた人工的な意識なのか、人間的に先祖代々培ってきた本能なのかまでは分からないが、「怒れる人を選ぶ」という事をしてしまうのである。「選ぶ」という行為をすることは、それは手段として使っているという事である。逆に「怒らない」という手段も使っている。

 「怒る」ことで相手を征服するのは「威圧感や権力等で相手をひれ伏させようとする行為」である。現代風に言えば「マウントをとる」という事に近い。しかし、「怒らない」という事は、「やさしさや寛大さで相手と向き合う」と言いう事でもある。「怒らない」という事で相手を服従はさせられない可能性は高いかもしれないが、もし相手から好意を得られたら、「服従」以上の効果を発揮すると、私自身は思う。

 「怒る」ことで相手をコントロールするのは、実は「非効率的」である。なぜなら、その相手は「反感」を持ったまま従うわけであり、もしその起こった相手が間違っていたら、表面に出さずとも心の中では軽蔑するからである。歴史を學べば明らかである。

 また、これは私個人の感想でもあるが「怒る」という事は一種の「甘え」だと考えている。何故なら「怒れる人にしか怒らない」からだ。言い換えれば「ストレス発散を出来る人にしかストレス発散できない」からである。さらに言い換えれば、「ストレス発散できる人にストレス発散をさせてもらっている」という事である。

 これは「甘え」以外の言葉では、私は表現ができない。もちろん例外もある。例えば「部下を守るために上司に怒る」人などの「何かを守るために自分よりも強い存在や立場のために怒る」という類のものである。それはそれで「部下からの信頼を得るため」や「自分の存在価値を守るため」等の「手段」かもしれないが、上等的な手段とも言える。何故なら「信頼」や「自己肯定感」等の報酬を得られるからだ。

 その他にも、本当にコントロールできない「怒り」もあると思う。私自身は経験はないが、「相手を殺してしまうほどの怒り」というのも世の中には存在しており、そこまでになると、損得勘定などの計算はなく、ただ身を任してしまうほどの感情であり、歴史をみるとそういう「怒り」も何度もあった。

 ただ、ほとんどの「怒り」という物は、自分でも気付かないうちに「抑えられないからしょうがない」「相手が自分を怒らせたのが悪い」「むしゃくしゃしてつい怒った」・・・ETCの自分の都合で起こる人の方が多いと感じる。私を含めてであり、私の周りがそうだけなのかもしれないが・・・

 「怒る」ことは善くないと言っているわけではない。「怒る」ことが必要なときもある。ただ、自分の都合のいい解釈で「怒る」という感情をだすと、結果、周りから疎まれ、つまらない人生になるのではないかと思う。また、「怒らないこと」=「アンガーマネジメント」でもないと思う。やさしいと意気地なしの違いもある。

 ただ、「怒っている」ことを時として「甘えている」と理解できないと、周りの人から避けられ、つまらない人生を送ることになるかもしれないと、私自身も危惧している・・・できるなら、人のために「アンガーマネジメント」を駆使したいものである。

怒りのイメージ
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