哲学ブログ

正しい感情〜生物と人工~

「感情は魂の言語だ」・・・ウォルシュ

「人を作るのが理性であるなら、人を導くのは感情である」・・・ルソー

 「スマホ脳」や「一流の頭脳」、「ストレス脳」等の執筆で有名なアンデシュ・ハンセン氏から学んだ事であり、このブログでも何度も記載している事でもあるが、「人間に限らず、生物全般は生きるために進化した」という事である。そこに、幸福・正義・悪・愛等は無関係に等しいのかもしれない。

 私たちホモサピエンスの祖先は25万年前ほど前に誕生したと言われている。7万年前に「認知革命」が起こり、「虚構を共有する」という能力を得る。世界最古の文明は「シュメール文明」と言われており、紀元前3800年前にあったと言われている。

 文明とは、「人間が創った高度な文化、あるいは社会を包括的に指す」ものである。文明の定義は基本的に諸説があったりするので一概に言えないが、「広範囲の社会的」なことを指すと、日本では、農耕が始まり、「穀物の奴隷」となった、縄文後期から弥生時代初期に当てはまるのではないだろうか。

 ただ、紀元前3800年前と聞くと、もちろん大昔のことである。しかし、その大昔という解釈は「人工的知見から解釈」である。生物学的な進化や、ホモサピエンスの進化等の知見から解釈するとすると、ごくごく短い時間なのである。

 例えば、地球最初の生物は40億年程前と言われており、小さな単細胞生物であった。10億年前頃から多細胞生物が出現したと言われ、6億年前ごろから海の中に動物が出現したと言われている。人類の祖先の分類が難しいが、何百万年前~20万年前の間に人類の進化を遂げていく。

 日本史の始まりは諸説はあるが、早くて3世紀頃からである。1800年程たった現代では、人間は相当なスピードで生物として進化した。説明もいらないくらいだと思う。400年前には、半分の子供は大人になれなかったし、感染症や飢餓、殺人等が人間の死因の主だった。もちろんこれは日本人に限らない。世界中の話である。

 今では何かしらの予防接種もほとんどの子供が受けられ、大半の子供が大人になれる。気がでなくなる人もいない。ある意味、人間は食物連鎖のトップに立ったといって過言ではない。ただ、それらのことは生物としての進化なのだろうか?

 人間は「進化している」というのはよくわかる。科学・医学・農学・水産学・地学・生物学・化学・・・その他様々な世界の謎を解き、また謎を追いながら進化している。しかし、それは「生物としての進化」ではなく、「人間としての進化」というより「人工化的進化」が適切なのではないかと私は考えている。

 だからこそ、物質的に豊かになり、衣食住も困らず、教育も受けられ、子供も死ぬ数少なく、長生きが出来、たかだか100年前より遥か豊かになったにもかかわらず、幸福を感じることができず、不安を常に憶えているのである。

 アンデシュ・ハンセン氏は、人間の脳は「狩猟採集時代」のままであると指摘している。

もちろん、様々な研究成果に裏付けされた、理論的な説明をしている。狩猟採集時代は、約25万年前~1万年前、農耕時代は1万年前~西暦1800年前、工業化の時代は西暦1800年~1990年、デジタル化の時代は1990年~現代である。

 約25万年前~1万年前の狩猟採集時代が人間の進化過程のほとんどであり、それは「生きる」という目的に起因しており、現在のライフスタイルを脳が勘違いして、ストレスホルモンと言われるコルチゾールを偏桃体がだすことがある。

 人前で話すとき緊張してしまうのは、「この人間は、自分に危害を加えるかもしれない?」と脳が警報を鳴らしてしまったり、人前で恥ずかしい思いをしたときに忘れたいと思っても、過度なストレスがかかっているため、命に係わる危なかったことと脳が誤認し、「次にその出来事を回避するために重要な記憶」と定め、忘れさせてくれなかったりする。

 脳にとって重要なことは「幸福でなく生存」である。だからこそ、幸福な感情は一時的だが、危なかった出来事は永続的に記憶する。その代表的症状がPTSD(心的外傷ストレス)」である。狩猟採集時代は、何度も命に係わる出来事があったため、脳は生きるためにまずは危なかったことを記憶するのであり、現在でもそのように機能するのだ。

 また、感染症は死因の最大のリスクであった為、ストレスを受けると免疫をあげようとする働きがある。ある実験で、威圧的に被験者をビビらせながら面接官が面接をしたところ、その被験者の血液検査をみると、「インターロイキンー6」という、ウイルスや細菌にかかった時に熱を出す等、免疫の中心的な役割を果たす物質のレベルが上がっていたという結果が、「ストレス脳」という本では紹介されている。

 身体に危害を加えるはずはないと分かっていても、脳は過度のストレスで「怪我をして炎症を起こす危険が高い」と誤認した結果、身体的な免疫力をあげようとして、その様に作用したのである。

 私たちは、基本的に不安や不満になりやすい。すぐにストレスを感じてしまう。時折、「自分はおかしいのではないか?」と思ってしまうほどである。ただ、実は生物として脳は生きるために「不安になるように、不満に思うように、ストレスを感じやすいように」出来ているだけなのである。

 であれば、生物としての正しい感情は、「不安」に思う事である。そして、嫌なことを忘れられずにトラウマになっていまうことも、生物としては正しい感情という事になる。

 そうであれば、人間の持つ「精神的な満足感や愛情、正義感や安心感」等は、正しい感情ではないのか?と疑問に思うかもしれない。しかし、人間は生物的側面と人工的側面を持つ。脳や体は自然であり、狩猟採集の進化過程のままであるが、人工的な意識はまた別に進化している。

 「不安より安心」、「不満より満足」、「無情より愛情」、「悪より正義」等、人工的思想は人工的な進化結果でありその感情は時折、生物的感情を上回る。

 例えば、脳は狩猟採集時代のままであるため、「糖分」を欲する。狩猟採集時代の生きるための最も重要な課題の一つが糖分摂取だったからである。なので身体も幾何かの糖分を体内生成できるように進化したし、多くの糖分をとらなくても生きれるように進化した。

 だが、昨今では糖分をとることは容易であり、脳は糖分を欲するようにできているため、糖をとりすぎ「糖尿病」の患者が莫大に増えた。しかし、脳が「糖をとりたい」と狩猟採集時代のまま人間に指示を出しても、人工的な意識で「糖分は控えよう」と抑制できるのである。もちろん人によるが。

 感情も同じで、脳が生物的に不安に思おうのも仕方ないが、人工的に安心感を植え付けることも可能なのである。

 人間に限らずだが、生物は様々な感情があり、性格も千差万別である。しかし、人間は本能を人工で良くも悪くも左右することができる可能性を持っている。感情でも同じことである。

 生物としての正しさを知ったうえで、人間としての正しさを吟味していくことが、もしかしたら哲学の本分なのかもしれない。

不満?満足?
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