「マニュアルでやる気までは教えられない」・・・野口 実
「社内マニュアルには、この仕事を通して学べることを明確にする。すると、マニュアルを読んだものの心に火がともされる。」・・・神田 昌典
マニュアル・・・うーん・・・私自身はマニュアルは大事な面もあると思いますが・・・「そんなに必要?」とも思います。マニュアルはある意味「説明書」に類似しているものと思います。もちろん説明書以上に様々なニーズに答えるような「手順書」的な意味合いも含まれるのも分かります。
道具や機械的な事は「説明書」。人間の手順的な事は「マニュアル」と言ってもよさそうな気がします。でも・・・「頼りすぎたらだめじゃない???」なんても思いますし、「マニュアルは参考程度がちょうどいい」とも思ったりします。何故なら・・・人間同士の関り等に関しては「ああすればこうなる」とは限らないからです。
私は現在、老人施設で働いているので認知症の例を挙げれば、認知症の研修に行くと「認知症の方にゆっくり目を合わせて説明する」と言うことがよく言われます。認知症の方に対するマニュアルです・・・認知症の方にゆっくり目を合わせた瞬間に怒り出す方もいます(~_~;)もちろんみんながみんなそうじゃないですが、特に男性は3割以上はそう言う方がいるような気がします・・・体感ですのであまり参考にはなりませんが(・_・;)
料理のレシピは、ある意味マニュアルと言っても過言ではないです。でも、レシピ通りにやってその通りに料理が出来れば、調理師なんてそんなに必要ないですし、家庭でも本場の料理が再現できるはずです。ですが、中々レシピ通りの結果にいかない方が多いのが現実だと思います。
私世代は就職氷河期と言われる世代の最後の法でした。就職氷河期全盛期よりも氷河は溶けかかったはいましたが、まあ厳しかったです。私世代くらいまでは、勉強していい大学はいれば大手会社の終身雇用まで行きつき、死ぬまで安泰できるみたいな「終身雇用神話」がありました。ある意味人生マニュアルですね(^^;)しかし、その終身雇用神話はなくなりました。言い換えればその当時の人生マニュアルは通用しなくなったという事です。
で・・・何が言いたいかというと、「マニュアルはいらない」・「マニュアルは必要ない」と言いたいわけではありません。「マニュアルは必要です。」どんな分野にであってもマニュアルは必要で、参考になるものです。
ただ・・・頼りすぎるものではないという事です。マニュアルの根本思想は「ああすればこうなるから、こうしなさい」という事を示します。これも非常に大事です。しかし、「ああしたけれどもこうならない」というのが自然的な摂理でもあり、時には機械的な事でも起きます。
なので、「マニュアル通りにいかない時も多々ある!」という事を理解して、イレギュラーに対応できるように考えておくことや、「そのマニュアルが本当に正しいか?」等のようにマニュアルを疑う事、また世論や思想、科学は時代によって変わりますので、「マニュアルも都度変えなければいけない」等の考慮が必要だと思います。今度はそうなると「マニュアルって何?」みたいに戻りますね(^_^;)
なんか「一休さんの世界」見たくなってしまい申し訳ないです💦(笑)」
ただ、マニュアルが大事なのも分かりますが、人間は基本逸脱します。自然や動物なども人間の想定から逸脱します。時には人工的な機械みたいな物も人間の範疇から逸脱します。マニュアル絶対主義だと、想定外の逸脱には対応できないと思いますし、基本的に逸脱に対応できないと、指示待ちになってしまいます。
よく仕事で「現場」という言葉が言われますが、現場は「作業が行われている場所」だけを指しているわけではないです。私の「現場」という解釈は、一人一人の「現にいる場所」での仕事場です。であれば、一人一人に「自分なりのマニュアル」が必要であり、その状況や分野、時代等に合わせて、「自分のマニュアル」を常にアップデートしていかないと対応できなくなってしまうと思います。
会議室も1つの現場という事です・・・例えが古くて申し訳ないです(-_-;)
殆どの事象に逸脱は起こります。言い換えれば、人が生きていく上での事柄はマニュアル通りにはいかないという事が「常」であるといっても過言ではないです。なので、自分個人のマニュアルを作り、マニュアル通りにいかないという事も自分の人生思想のマニュアルに入れておいた方が、まあ、幾分かは人から押し付けられるマニュアル人生を歩むより、多少は面白く人生を生きられる気もします( 一一)