哲学ブログ

性格と知識~相関~

「知識の進歩と普及こそ、真の自由の守護者である。」・・・ジェームスマディソン

「その人の性格は、その人の行動の結果である。」・・・アリストテレス

 「性格は生まれながらに決まっているのだろうか?」という問いは、ずいぶん若い時からの疑問であり、今も考えている疑問というか私の課題である。性格は「環境と遺伝子で決まる!」と仮定すると、人間は性格までも運命の操り人形という事になる・・・ 

 ちなみに、性格の定義は「その人が生まれつきもっている感情や意志などの傾向」等と言われている。私自身はこの定義に些か疑問を抱いている。何故なら人は後天的にも「変われる」し、「変わってしまう」と考えているからである。

 性格を司る臓器は言わずもがなだが、「脳」である。認知症になると性格が変わる人もいる。代表的な例が「前頭葉側頭葉型認知症」であり、怒りやすくなったり、暴力的になったり、悪さをしてしまうようになる等と言われている。

 「心原性脳梗塞」でほぼ半身麻痺になる人がいる。言語を発することができなくなる場合もありまる。私個人の考えでは、重い脳梗塞を患った人も性格が変わると考えている。我慢ができなくなり我儘になったり、起こりやすくなったりする人を見てきたからだ。

 頭に大きな鉄の棒が貫通したが生還したことで有名な、フィニアス・ゲージ(1823-1860)さんという方がいた。彼は左前頭葉の大部分を鉄の棒が貫通したことにより破損してしまったが生還した。しかし、人格と行動が以前の彼とあまりにもかけ離れていたため、友人からは「もはやゲージではない」と言われたそうだ。

 考えてみれば当たり前の話である気がする。脳という指令器官が損傷すると、言語機能や思考機能から身体機能までバグを起こしてしまう。それが一過性なのか慢性的なのかはその疾病等によるが、そうなれば性格も変わるのは当たり前という事である。

 前回、「スマホ脳」等の著者で有名な精神科医、アンディシュ・ハンセン氏のことを紹介した。その際には、「脳は人類が狩猟採集時代のままで、生存を最優先するようにできている」と紹介したうえで、そのため「不安や不満、疑う」等の感情が最優先となったようなことを記載した。

 しかし、生物的な生存を優先する感情ともあれば、人間は人工的な感情もあるとも記載た。「不安よりも安心」、「不満よりも満足」、「疑いよりも信じる」等は人工的に作れるものだと私は考えておいる。生物的生損や満足=人間的な満足という式には成り立たないのである。

 そう考えていくと、生物としての感情に任せると、性格というのは自己中心的になるのは当たり前かもしれない。脳は生きるために感情を、言い換えれば性格を本能的に創るのである。ただ、狩猟採集の時代も人は1人では生きていけなかったため、孤独を避けるように脳は指令を出すらしい。

 その証拠に、孤独が続くと交感神経の作用が強くなるという研究結果がでている。交感神経は血圧や脈拍等を上げたりする。1人でいるのに、交感神経がなぜ作用するのかというと、協力してくれる仲間がいない事を脳が本能的に危機感を感じるかららしい。であれば、他人とも仲良くすることも本能的性格に刷り込まれているのかもしれない。

 だが、人間は人間として生きるためには生物的な考えだけでは不都合だからこそ、思想や宗教、道徳や法律等が創られてきた。思想的な事だけでなく、料理や芸術、娯楽等も創られ進化してきた。

 それらは世界でも共通している。

 生物的な性格がその人の生まれ持ったもののままでは、現代(文明を築いた時代以降)は人間社会には不都合という事になのである。だからこそ、人間社会では人間的に生きるために色々な学びがあり、人間的な性格を確立していく必要があるのだ。

 ここで、本題である「性格」に戻ると、性格とは「その人の持っている本質的な感情や環境によってつくられた感情」に加え、殆どの人が本能的に持っている生物的な「生きるための感情」とその人の「人間的に学んだ知識や経験、出来事等」と、この大まかな3つのカテゴリーが交じり合ってできる、ある種のアイディンティーなのではないだろうか?

 「性格は変わらない」とよく言われている。確かにその人の生まれ持った性格の「核」のような物があり、それは変わらないかもしれない。そして「人の生きる環境等」は中々自分では選べず、ある意味それも変えることができない。 

 故に、その2つのカテゴリーだけで考えると、性格はある意味運命の奴隷と言っても過言ではないかもしれない。しかし、後天的に学んだ「知識や経験等」も必ず性格に影響を与えるはずである。

 であれば、100%自分のなりたい性格になれるわけではないが、自分のなりたい性格には、自分自身が知識や経験等を積んで近づけるはずである。もちろんその前に命題として「自分がなりたい性格」を分かる必要があるが・・・

 ただ、人は変わっていくのは絶対条件である。なので、「自分のなりたい性格」も変わっていくものである。しかし、知識や経験はその都度仕入れができるものがほとんどである。本やテレビ、YouTubeなどの媒体で学ぶことも出来れば、通信教育でも学べるものが多い。

 恥ずかしながら、私自身は「自分のなりたい性格」はよく分かっていない。ただ、「自分が納得できる性格」とも思っていない。ただ、自分が100%思うような自分になる事はできなくとも、そこに近づける事はできるとは思っている。

 性格は先天的な事と後天的な事が交じり合う。ただ、それは精神的な事に限らず身体的な事も一緒である。人間は「知識」によって性格をアップデートできる存在であると私は考えている。ただパソコンの様にはいかない。

 その中でも、様々な知識を学ぶことで、少しでも自分に納得できる人間になれれば、些か人生が面白くなるはずである。

性格は個人差

 

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