「他人と比較してものを考える習慣は、致命的な習慣である。」・・・ラッセル
「他人と比較して、他人が自分より優れていたとしても、それは恥ではない。しかし去年の自分より、今の自分が優れていないのは立派な恥だ」・・・ラポック
「世界は良くなっている」という事に関して、どれだけの人が信じれるのだろうか?世界中の貧困層の子供も含め、何かしらの予防接種を打てる子供は90%はいる。貧困層がないわけではないが、食べることがままならないような、絶対的貧困も減っている。
日本は「失われた40年間」と言われるくらい、先進国の中でも不景気が続いている。GDP(国内総生産)も上がらず、結果他の先進国と比べて給与水準も低く「安い日本」と言われることもあるくらい、経済は低迷している。6世帯に1世帯は年収300万円以下の「相対的貧困」とも言われ、私の住む田舎では「年収300万円時代」等との言葉もある。
しかし、犯罪件数は年々減っているのは事実であり治安はよく、週休2日が当たり前になり、テクノロジーの進化でスマホなどにより生活的不便も少なくなり、食べるものも美味しく、日本はなんだかんだで生きやすい国でもある。働けなけなれば「生活保護」もある。
手続きなどは面倒くさいが様々な福利厚生があり、国民皆保険制度などの所得が低い人でも医療や介護が受けられるような制度もある。もちろん完璧とは言えないが・・・ただ、日本はまだまだ「生きやすい国」と私個人は思っている。
それでも、人間の脳には「生きにくい世の中」という事になっているらしい。日本での自殺者は2003年には年間34.427人いたのが、2023年ででは21.081と20年で約13,000人減っている。しかし、自殺者は絶えない。飢餓などなく、医療も日々進歩しており化学も日々進歩している中で生きやすくなっていても、絶望感や不安、精神の不安定は無くならないらしい。
如何に科学が進歩し、人工的に人間が進化したとしても精神の安定につながらない事もあるということだ。多くの国では約10人に1人の大人は抗うつ剤を飲んでおり、その大半はSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)と言われるものである。レクサプロやパキシル、ジェイゾロフト等の抗うつ剤が有名である。
セロトニンは幸福ホルモンとも言われ、精神の安定に必要なホルモンである。生成されたセロトニンは多くの細胞シグナル伝達経路を通る際に、それぞれの細胞シグナルに再取り込みされてしまう。SSRIと言われる抗うつ剤は、この再取り込みを阻害して、セロトニンの量を増やす仕組みにある。
セロトニンは、単細胞生物や植物も産生するが、大抵の動物では神経伝達物質としてきのうし、ポジティブな出来事があると分泌される。例えばオスが繁殖相手のメスを見つけた時や食物の新しい供給源を見つけた時などである。また、その動物のグループのリーダーはセロトニンの量が多いと言われる。
それは人間も同じであり、リーダー的役割を担う人はセロトニンのレベルが高いという実験結果もある。SSRI系の抗うつ剤が多く処方されているという事は、現代ではそのセロトニンが足りない人が多くいるという指標の1つにはなる。いかに生活が利便になろうが、幸福ホルモンが分泌されるというわけではないのである。
「スマホ脳」や「一流の頭脳」などの著作で有名な、スウェーデンの精神科医であるアンデシュ・ハンセン医師の著作である「ストレス脳」という本では、セロトニンとヒエラルキーにおける人間社会の地位の関係が説明されている。
ヒエラルキーとは、ピラミッド型の階級的組織構造のことであり、社会的にヒエラルキーが低いという事は、社会的地位が低いという事になる。人間は自分の地位が低いと思う事で、セロトニンの分泌量が減ってしまうとアンデシュ・ハンセン医師は指摘している。
地位が低いなどは、現代以上に昔の方が多くある気もする。今でこそ階級社会ではないが、日本でも士農工商や穢多(えた)・非人(ひにん)などの階級があり、昔から地位が低い人は多かった。しかし、問題は「地位が下がったと思う事」にセロトニンの問題があるらしい。
現代ではSNSを利用している人は大半であり、多くの成功しているインフルエンサーの情報をみてしまう。TwitterやInstagram、facebookやLinkedln等、様々なSNSを通して、自分では達成不可能な人たちの多くの情報をリアルタイムに確認してしまう。
自分より素晴らしい人、素敵な人、賢い人、お金持ちな人、人気のある人、スタイルが良い人、人気のある人、成功していると思える人等がいることを、思い知らされるのである。そこで「自分は駄目な人間だ」等と思ってしまい、ヒエラルキーの下へ下へ落ちていくように感じる。要するに、自分の人間的地位が低く感じてしまうようになるのであり、精神状態が悪くなるリスクはそこにあると言われている。
しかし、脳は孤立を避ける習性があり「自分はこのグループに馴染めているのだろうか?」・「こんな自分で大丈夫なのだろうか?」等と感じるようにできており、人間の本能としてヒエラルキーにおける地位の確認をするのをやめられないらしい。
人間(サピエンス)は生きるために集団をつくり、その集団生活に適するように脳も進化した。その集団の中で自分の地位は重要であり、その地位が低いとしてもその集団に適していれば脳的には特に問題視されない。しかし、SNSによりすさまじく幅広い集団の中で、「完璧な人間」と思える人の情報を確認してしまい、自分はその集団に適していないのではないか?という錯覚をしてしまうのである。
おそらく、士農工商のようにある種、生まれ持ったものであり諦められるヒエラルキーや、職場などで決められた課長や係長などのヒエラルキーに関しては、そこそこ我慢できるものであると思う。あまり根拠はないが、その様な制度が成り立っていたことも事実である。
しかし、SNSで様々な自分にとって「完璧な人間」をみてしまうと、自分で創ってしまう自己ヒエラルキーの中で、劣等感を感じてしまい、社会的ヒエラルキーの下に自分はいると思ってしまう様である。所謂、「自己肯定感が低くなる」という事である。
集団で狩猟採集時代を過ごしてきて、人間(サピエンス)は進化してきた。99.9%の進化の時代は狩猟採集時代である。私たちの身体も精神もその頃のままであり、SNSに対応できるように脳は作られていないのである。しかし、人工的な現代社会ではスマホを手放せない。脳もスマホを見ることを欲するようになる。原始的な欲求を叶えようとするために。
アンデシュ・ハンセン医師のアドバイスは「1日1時間以内にソーシャルメディアを制限する」という事である。
簡単な要であるが難しい事でもある。ダイエットの糖質制限なども類似しているが、中々制限をかけるのは難しい。しかし、この自己ヒエラルキーにより、自分で自分を低く見る人間的本能があり、それによりセロトニン分泌ができなくなるという事を知っていれば、自己ヒエラルキーを見直すという対応策も取れると、私個人は考えている。
性格や考え方は30歳までに固定されるという事が常識になっているが、そんなことはない。性格や考え方は、受ける刺激や新しい考え方に出会う「学」という事と、その学んだことを活かそうとする練習で、何歳からでも変われると思う。
私自身も自己肯定感が低い事には悩まされる。他人と自分を比較しているわけではないと思うが、比較してしまう事もある。他人と比較して、謎の自己ヒエラルキーを創ってしまい、落ち込むこともある。しかし、「自分は自分、他人は他人」という考えも持っており、自己ヒエラルキーの低下との葛藤をしている気もする。
自分が思っているより他人は自分を気にしていないものである。しかし、何故か気にしてしまう。それは脳の本能に起因するものでもある。
ただ、自己ヒエラルキーを創ることを止め、他人と自分の比較をしなくなり、他人の目が気にならない様に意識的な練習をすることは、案外、人生を面白くする手段なのかもしれない。