哲学ブログ

変化≒学び~疑問~

 「変化は必然的に起きるものですが、成長は自分の意志によって生まれるものです。」・・・ジョン・マクスウェル

 私は、20代後半から色々と学びたいと思い始めた気がします。もちろん学生時代にもそんな気持ちが無かったわけじゃないですが、「遊びたい( ゚Д゚)。」というような気持ちの方が強かったと思います。まあ・・・ダメ学生だったってことですね(^_^;)

 そんなどうでもいいことは置いときまして、最近【「学びたい」≒「変わりたい」なのか?】と考慮迷子になることがあります。20代後半で私は調理師の資格を取り、30歳くらいで社会福祉士資格を取りました。その時は、このままではいけないと思ってもいました。

 ただ、「自分を変えたかったか?」と言われればそうでもなかった気がします。「自分の仕事の手法を増やしたい!」とは思っていましたが、「変わりたい!」とは思っていませんでした。でも職種を変えたかったわけで調理師から社会福祉士になったわけで、少なくとも環境変化は望んでいました。

うーん・・・自分でもあんまりわからないですね(^_^;)。調理師から社会福祉士になっても私自身の考えや考え方、思想的な所はあまり変わっていない気がすます。

 よく「30歳以上になると自分の考えは変わらない!」と言われる気がします・・・否定はしません。ただ、「自発的に変わりたい!」と思う人は変われると思います。私は「変わりたいと思えば変われる人間になりたい」と考えています。逆にこの考えは私の中核的な考えですので、「変わりたいと思えば変われる人間になりたい」という考えが変わらないのも事実であり、ある意味自分の考えが変わっていない事にもありますので、なんかこんな考えも考慮迷子になりますね(~_~;)

 「一休さんの世界かよ(# ゚Д゚)!」・・・なんて自問自答したりします(・_・;)

 そこで、「学びたい」と私は思いますが「変わりたい」とはあまり思いません。しかし、「学ぶ」とは自分の考え方が昇華したり変わるものでもあります。むしろ学んで自分が変わらなければ「論語読みの論語知らず」というような、学ぶ時間が無駄になるだけの気がします。

 ちなみに「論語読みの論語知らず」とは、論語を学んでいても実践していない人のことを指します。これと同じようなことばで、

 「いにしへの、道を聞いても唱えても、我が行いに、せずばかひなし。」・・・島津日新公

 という言葉が、私の生まれ育った地にはあり、訳すと「昔の人の道理(教えなど)を学んで人に教えたとしても、自分の行いで示せなければ役に立たない」と言うような感じの意味です。これを聞くと、「学んだことが本当に自分の学びとして役に立っているか?」なんて疑問もでてきたりします(~_~;)

 少しずつ学ぶことで自分も変化しているのか?学んでも実は何も変わっていないのか?そもそも自分が変わるって何?なんてなんて、ちょい酔いながらそんなことで、考慮迷子になっていて、自分の人生に疑問ばかりが浮かぶ今日この頃でした(・_・;)

疑問イメージ

 

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