哲学ブログ

人間と情報~変わるもの・変わらないもの~

 「朝(あした)に道を聞かば、夕べに死せるも可なり」・・・論語

「知るとは自分が変わる事、学ぶとは自分の見方が変わる事。」・・・養老孟子(ものがわかるということ)

  私は養老孟司氏の考え方が好きで、よく人生の参考にさせて頂いています。ただ・・・きちんと参考にできているかはわかりませんが(・・;)。最近、書店で「ものがわかるということ」と言う養老孟司氏の本が出版されており、現在読んでいるところです.もうチョイで読み終わります。

 この本というか、養老孟司氏はいつも「人は変わるが、情報は変わらない」と説いています。そして、それが分からないのは人間の社会が「脳化社会」になりすぎたと話をしています。

 何の本か忘れましたが、以前は「過去の新聞の情報はそのままでしょ!」みたいなことが書かれていたのを記憶しています。そして、この本では、「同じ映画を何回も見た時に、映画の情報は変わらないが、1回目、2回目、3回目とみていくと、見方が変わったり、解釈が変わったり、つまらなくなる等、見る手側の感じ方が変わる!ということは、情報ではなく見る手側の人間が変わっている」という話があります。

 「な~る!!確かに!」と思いました。私は情報は「上書きするもの」Or「選択するもの」等と考えていましたが、考えが浅いなぁ~なんても思いました。

 私は高齢者施設で相談員をしていますが、情報の曖昧さや不確実さをよくよく実感しており、「結局、入居してお世話をさせて頂かないと分からないじゃん!!」と思うことが多々あり、今では、情報は大事ですが、細かい情報は必要ないとも考えています。既往歴や服薬情報なんかの変わっていない情報であれば必要ですし、ある程度の生活動作レベル等は知っておく必要があります。

 でも、最終的に施設に入居して頂いてかかわりを持たないと分かりません。なのに、「細かい情報が必要だ!」という、情報第一主義は後を絶えません・・・何故か?

 それは、情報神話主義といいますか、情報があれば何でもわかるという錯覚があるからだと思います。私の中では、情報はあくまで目安です。どちらかというと、多い情報はかえって邪魔になることもあります。認知症の人は住む環境が違えば行動が変わることも珍しくありません。

 そして、認知症じゃなくても人間にはその日の機嫌なんて、厄介なこともあります。気分によって食べたい物も変わります。個人個人の好きな食べ物も、時と場合によっては変わります。好きな食べ物の情報は変わりませんが・・・

 こう考えていくと、情報第一主義は危険な気がします。例えば、私の働く高齢者施設に入居する方の情報と、その人が一致しなければ、「嘘をつかれた!!」と大抵の人は言います。好きな異性のことを調べて、その異性に好きな物を送っても実際は違うと腹が立ちます。それは、「情報を信じ、それに従えばそのと通りになる」と思い込んでいるからです。

 養老孟司氏は「ああすればこうなる」という脳化社会の現象と言ってますが、その通りだと思います。だからと言って情報が必要ないというわけではありません。

 情報が変わる関わらないかは、人それぞれの考えや、情報に対する個人個人の定義によるかもしれません。でも、人は確実に変わります。お酒を飲んだだけで変わりますし(・・;)・・・そこは置いときましょう。

 以前も記載したかもしれませんが、冒頭の論語は直訳すると「朝に学ぶことができれば、夕方に死ぬのも可能である」と言うような意味です。私の訳なので、チョイずれているかもしれません( ̄▽ ̄;)。学生の頃には訳は解っても、意味は解っていませんでした。だって、「朝に学んだら夕方に死ぬの?」・・・Why?みたいな感じです。

 でもこの本当の意味を養老孟司氏から教わりました。「学問を学ぶということは自分が変わるということ!自分が変わったということは、それまでの自分はいなくなった(死んだ)ということ!」と言うような感じです。

 人は良くも悪くも変わり続けます。というより、生きとし生けるもの、自然は変わり続けます。これは真理です。

 では情報は?・・・情報は情報のままであふれ続けるだけなのかもしれないですね(/・ω・)/。変わらずに・・・

 AIと人間、人間と宗教、人工と自然、人工と人間、都会と田舎、人間の本能と個人の本能・・・ETCなんて、対比を考えていくときりがない面もありますが、少なくとも、「人間は変わっていくもの」だと考えています。それは身体だけに限らず意識もです。まあ、意識は「共通」を求めますので何ともですがそれはまた木佐氏させて頂きます。

 ただ、簡単な事かもしれませんが「本当に変わらざる負えない事。実は変わらない事」を把握していた方が、チョイかもしれないですが、充実した人生を送れる気がしますさね(;´・ω・)!

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