哲学ブログ

記憶と記録~感情~

「人の思いは所詮、記憶の奴隷。」・・・ウィリアム・シェイクスピア
「過去の出来事の記憶は、必ずしもあったままの形で留まっているとは限らない」・・・マルセルブルースト 


「記録より記憶に残らないと意味がない」という言葉もある。勉強やスポーツ等でも、記録だけでは人の記憶に残らず、忘れられるからこそ、記憶に残らないと人に覚えてもらえない為、意味がないという事である。


 私自身は、他人の記憶に残ろうとはあまり思わない。もちろん、仕事上などで記憶してもらわないと不都合が生じることは別である。ただ、自分自身がどのように人を「記憶するべきか?」という事は常々考えている。


 そもそも、記憶と記録の違いは何か?と考えた時に、私は記録に感情が入り記憶になると考えている。言い換えれば、記録を自分なりの解釈を通して記憶になるという事である。


 人間の脳に情報がインプットされるときは、その情報は事象であり、記録である。そこから、自分の培ってきた人生や自分なりの考え方によって、良くも悪くも記録から記憶となる。


 例えば、コンピューターに新しい記録を入力するときは、今までの情報を消して上書きができるが、人間は情報を意図的に忘れる事は出来ない為、どうしてもその上書きの情報に、今までの情報が少なからず影響してしまう。だからこそ、同じ情報を共有しても、思い出になったら、人それぞれ変わってくる。以外に脳は原始的なのである。


 心理学者で有名なフロイトは、「人の行動には、過去の原因による。」というような原因論を唱えていたが、人間は、良くも悪くも自分の人生経験により行動を起こすからこそ、ある意味原因論は正しいと言える。


 問題は、過去の原因=記憶をどうとらえて生きていくかで、人生が変わってくるという事である。記録は事象であり、記録自体に良し悪しはない。しかし、記録を記憶に変換するのは人間の感情であるなら、その感情の持ちようで、良くも悪くもなる。


 確かに、PTSD等の原因を持つほどのトラウマになるような過去であれば、簡単に自分の意思でその記録を、よい記憶にすることは難しい。しかし、8割ぐらいの人間は過去の記録を悪く考え、生きにくくなるような記憶に変換している気がする。私自身も例外ではないが・・・。


 例えば、仕事での人間関係で嫌いな人がいた場合に、記録としては「嫌な人」と残るが、記憶としては、「嫌な人がいたせいで、あの時の仕事は大変だった」と残ったとする。しかし、「嫌な人と一緒に仕事をしたおかげで、大変だったが、嫌な人に対する対処法が分かった」という記憶を残した方が、生きやすくなる。


 色恋沙汰でも、好きな異性にふられたときに、「ふられた」という記録を、その瞬間の「ふられた」という事を傷付いた感情を加えて記憶するか、「フラれたが、それまで好きでいたことが楽しかった。」という感謝の感情を加えて記憶するかで、人生はだいぶ変わる。


 冒頭にある、シェイクスピアの言葉通り、人間は記憶の奴隷でもある。しかし、記憶を自分なりに良い解釈を出来るのであれば、幾分かただの「記憶の奴隷」より「記憶により楽になる奴隷」になれるはずである。

 私自身、人の記憶に残るかどうかはどうでもいいが、というよりあまり残らない方がいい気もするが、自分の人生の記録が自分にとって、より良い記憶に変換できれば、下らなくも面白い人生と思える一生を歩める気がする。

公園の道(子供2人)
人生道なり
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