「財布を落としたら、人は必死に探すのに。
携帯電話を落としたら、人は必死に探すのに。
自分の本心を落としても、人は、落としたことにすら気付かない。」
上記の言葉は、「どうせ死ぬかもよ?」と言う本の第1章で出てくる言葉だ。なるほど・・・と感銘を受けた。「自分とは何者か?」と言う問いに対して、主に精神的な面を人間は考えたがる。そして迷うのであるが、本心すら分からない場合ある。私もそのうちの1人である。
「諸行無常」「万物は流転す」「色即是空」等の言葉があるように、すべて物は留まることなく変化していっている。故に自分の本心もその状況や自分の持っているバイアス、他者からの影響等で変わりうるものであり、自分の本心=自分の本質とはなりえない場合がある。
ただ、本心が変わっていたことに対して気付きもしないほど、私たちは自分を主観的にも客観的にも見れていない存在だとも言える。特に、「大変」と思うことに関しては、挑戦したくても本心にうそをつき取り組まない人の方がほとんどではないか?
人生は大変である。何故なら思い通りにいかないことが普通であるからだ。そして、人間は様々な欲求があり、その欲求を満たされないと不満に思ってしまうからだ。しかし、不満だらけの人生は大変な人生と言うより、つまらない人生と置き換えても過言ではない。
お釈迦様(仏陀)は人間の苦しみとは何かを考え抜き、苦しみの根源は人間の欲求であることを突き止め、欲求を克服するために、29歳で王族という身分や家族を捨て、それこそ大変な思いをした。そして、大きく変わり「悟り」を開いたのである。
孔子等の儒家たちは、人間どう生きるべきことが正しいか旅をしながら大変な思いをし、大きく学問を変えていった。
坂本龍馬も、脱藩し命を狙われる身になりながらも、亀山社中という日本初の会社を立ち上げ、木戸孝允や勝海舟、西郷隆盛等の影響を受けながら、大変な思いをしながら大きく変わった。
他にも大変な思いをしながら挑戦し、大きく変わった歴史上の人物はまだまだいる。そして、その大きな変化は自分だけでなく、身の回りの人の考えや当時の社会、国等にも大きな変化をもたらしたのである。
「人生は大変だからこそ面白い」とこの本にも記されており、スポーツを例にして説明している。サッカーは手を使っていけないから、思い通りにいかないが面白い。ゴルフも手で穴に入れる事ができないから、思い通りにいかないが面白い。
そして、スポーツ選手は大変な思いをしながらそれぞれの競技を極めていくからこそ、スポーツを通して大きく変わり、また、見ている人たちにも大きな感動を与えるのである。
この現象は、それぞれ身近なところでもあるはずだ。学校や会社でも、大変な思いをしながら実績を出し、大きく変わっていく人がいたり、周りにもいい影響を与えたりしている人はどこにでもいる。ただ、そんな人を妬んだり、認めるのが嫌な「大変なことを避ける人間」が多いのも事実な気がする。
元来、生物は大変な思いをしたくなく、人間も同じで人間の脳も基本的には「楽したい」という欲求が強い。しかし、人間は自分の意思で、その脳の欲求をコントロールし、大変だが大きく変わり、「自己実現の欲求」を引き出せる生物でもある。
「大変」・・・大いに結構である。もちろん、自分の望まない「大変」は嫌であるが・・・ただ、大変であることを乗り越えることで大きく変わることは真理である。
「何でもやってみろよ。どっちに転んだって人間野辺の石ころ。最後は骨となって一生を終えるのだから。だから思い切ってやってみろよ。」・・・坂本龍馬
もちろん、自分の置かれている環境によって、大きな挑戦が難しい人が多い。私もそのうちの1人である。しかし、自分の置かれている状況の中で、「大変」と言われることや思われていることに挑戦し、大きく変わることは、人間として生まれた醍醐味の一つである。