「頑張れ!」って言葉は、良い言葉でもありますが、その人の気持ちやTPO「時・場所・目的」等を考えず使うと、すごく残酷な言葉になると思います。
人間、能力は人それぞれで、頑張っても出来ないものは出来ません。足の遅い人にいくら「頑張れ!」と言っても、100mを12秒ぐらいで走ることはできません。数学が苦手な人に「頑張れ!」と言っても、Σ(シグマ)の計算ができるわけでもありません。
どんだけ根性論で頑張っても出来ないものは出来ません。また、自分で「頑張る理由」がないのに「頑張れ!」と言って頑張らせたら、頑張る人にとってはただの地獄だと思います。目的が無くただ頑張るのは、ゴールのないマラソンです。
そして、頑張っている人に「頑張れ!」というのは、ある意味追い打ちをかけるようなものです。「これ以上どう頑張れっていうんだよ!?(..)」と思ってしまい、そこから自分の不甲斐なさや相手への嫌悪感などの悪循環な考えをしてしまってりします。
ただ、私は「頑張れ!」って言葉を批判はしてますが否定はしてないです。時にはその一言がその人の背中を押すこともあり、努力するきっかけにもなります。
根性論も同じで、私は根性論は嫌いではないし、無意味だとも思いません。ある程度の根性だったり、努力の仕方が正しかったり、目的に沿った手段の1つで根性論を使うのは、ある意味非常大事だと思います。
「病は気から」という言葉がありますが、ある意味根性論で、そして理にかなっている部分もあります。もちろん理にかなってない部分もありますが・・・
人間に限らずですが、頑張らないといけない時もあります。しかし、出来ない事や、自分の意に添わなか事、本当に頑張っている人等に対してはすごく残酷な言葉になるものですさね。
背伸びせず、頑張り過ぎず、「出来たひこだけ〈鹿児島弁〉(約:出来る分だけ)」頑張るのが、ちょうどいいのかなぁ~なんてなんて、下らない事を考えていた今日この頃でした( 一一)