哲学ブログ

ミーム(meme)~人間的本能~

「問題を解決するより、問題を発見する方が難しい。」リチャード・ドーキンス

 文化はある1種の精神的感染症という見方がある。この文化というのは広義の意味であり、宗教、教育、マスメディア、本、仕事など人間が作りだした様々な意味合いが含まれる。人間は文化的な生き物と言っても過言ではない。しかし、人間1人1人が文化に対して、意識的に従っているかというとそうでもない。

 私たちは、生まれて育つ中での様々な文化の情報を学び、模倣していく。もちろんそれは、他の動物や昆虫ですら自分たちの世界の生き方を模倣しているとするなら、人間も同じという事になる。しかし、人間は生まれとその土地や時代、生きていく中での多文化交流などにより、動物や昆虫などの他生物より、遥かに様々な文化から情報を吸収して模倣していく。

 文化的な情報は脳内に保存され、他の脳へ複製されていくものである。言い換えれば、人間の文化という情報が脳の作用により他者から他者へ模倣にコピーされていく。それは人間にとって必然的な現象であり、私個人としてはそれは生物学的本能というより、認知革命による人間的本能に起因するものであると考えている。

 この、様々な文化の情報が脳の作用により他者の脳に伝播していく作用をもたらす、文化情報の単位ををミーム(meme)というらしい。ただ、ミームに関しての定義は論者によって幅があるため、一概に言えないところはある。このミームは、リチャード・ドーキンスという人が作った概念であり、ギリシャ語の「mimeme(真似されているもの)」から、英語の「gene(遺伝子)」も参考にして作られた言葉であると言われている。

 生物を進化させるための有機的情報の複製の役割を担うのが「遺伝子(gene)」であるのと同じように、文化を進化させるための、文化的(精神的)情報の複製の役割を担うのが「ミーム(meme)」という事である。遺伝子もミームもされぞれ、宿主に関係なく、繁殖させるという事を目的とする。時には人間に良い影響を与えるものもあれば、時には人間を滅ぼすものもある。

 ウイルス(gene)は宿主に寄生して増殖をしていき、他の宿主にも寄生してどんどん広がっていく。ウイルスは宿主を弱らせることもあれば、殺すこともある。ウイルス自体が他の宿主にも繁殖できて長く存在できれば、宿主がどうなろうとウイルスには関係ないのである。それは文化的な概念(ミーム)もウイルスと同じような構造であり、個人から他者に文化的な情報を増殖させる。それにより文化が発展することもあるが、時には宿主を弱らせることもあれば殺すこともある。

 コロナウイルスやインフルエンザウイルス、エボラ出血熱や狂犬病ウイルス・・・様々なウイルスが宿主の中で自分たちのウイルス情報を繁殖させ、宿主に不具合を生じさせている。歴史的な宗教戦争やパレスチナ問題、政治的問題よりおこるロシアやウクライナ問題、日中韓の歴史的文化問題などは、個人個人がその住んでいる国や地域などの文化的情報から、自国の文化を含め、自分たちの文化という宿主に不具合を生じさせている。

 ウイルスは物質的な情報を繁殖させており、ミームは人間の文化的な情報を繁殖させるのである。このミームという概念は、人間の本能に起因する心の1つであり、遺伝子と違うところは、物質がなく概念という事である。しかし、共通してそのミームがもたらす文化の複写は、人間的、人工的な進化に厳密に接しているのは事実である。もちろん、ウイルス同様、良くも悪くもだが・・・

 人間の本能の1つとも言えるミームという人間の心や文化を構成していく情報や情報感染を起こす概念を用いて、進化論的モデルによる情報伝達に関する研究手法を。ミーム学というらしい。

  このミームという言葉は、リチャード・ドーキンスというイギリスの進化生物学者・動物行動学者が作ったものであり、1976年に出版した「The Selfish Gene(利己的遺伝子 )」という本で紹介されているらしい。わりかし最近造られた言葉であり、概念である。

 人間は、文化を創っている反面、文化に支配されていると言っても過言ではない。文化を創る人もいれば文化を模倣して広める人もいる。それはほとんどの場合、「無意識的」に行われている。そして、文化に従わなければいけないという人もいれば、その文化を壊して新しい文化を創ろうとする人もいる。

 たしかに、ウイルスと同じような構造である。ある新しいウイルスができたらウイルスはそのDNAやRNAという情報を宿主のリボソームを介して広げていく。時折その宿主の利になることもあれば、時折その宿主を滅ぼすこともある。その他遺伝子も同じように捉えられることができ、生物を創っている反面、生物に支配され、時にはその宿主に不利益を与える。

 この、ミームという文化的情報単位における作用は、生物が生きるためだけのルーティンという事も含めれば、生物全般に当てはまるが、進化論的視点から、人間の創り出す高度な文明情報とするのであれば、それは、ホモ・サピエンスの虚構の共有の手段的概念とも言える気がする。

 宗教を例に挙げると、キリスト教が普及し、億という単位の人間がキリスト教徒になる。これは、「神の子であるイエス=キリスト」を信仰し、その教えを守る。これが、虚構の共有であると言えるが、キリスト教自体も西ローマと東ローマに分かれたり、カトリックとプロテスタント、イギリス国教会などに分かれた。そして、それぞれの立場から、それぞれの宗派を、それぞれの人が模倣しだして対立すら起きるようになる。

 ただ、様々なウイルスの感染によって人類は悩まされた結果、自己免疫力だけに限らず、ワクチンや抗生剤などを開発し、発展させてきた。それと同様、文化的なぶつかり合いで戦争が起きてきたことから、政治的外交などの解決策を発展させていった。しかし、このミームの及ぼす現象は、地域や職場、家庭などの小さい文化にも、良くも悪くも影響を及ぼす。

 所謂、「同調圧力」もこのミームの作用であり、それ故、同調圧力自体が人間が作る人間的本能であり、従おうとするのも人間的本能な気がする。ただ、意識的に考えている人は、同調圧力からうまく距離をとったり、必要のない文化は自分の考えで切り捨てることができる人もいる。

 生物的な有機的細胞の情報を司る「遺伝子(gene)」と同様、もしかしたら人間の思考を司る思考的概念に「ミーム(meme)」と言うような存在があっても、不思議ではない気がする。ただ、人間(サピエンス)にこのミームが存在すると分かっておけば、ある意味個人個人でも対処療法はできそうである。

 文化的情報を模倣していくことが本能とわかり、時折自分がその本能に従っていると考えることができれば、意図的にそれに従うことが善いか悪いか自己判断ができ、ミームに支配されることが少なくなるはずである。ウイルスに効くワクチンのように、思考的ミームワクチンを事前に人工的学によって創れるはずである。

 生物的、人間的、人工的・・・様々な本能との対立と調和は、容易なことではない。ただ、ミーム学のような観点も視野に入れた方が、それぞれの本能との対立や調和に役に立つ考慮材料が得られると思う。考慮材料が多いとそれだけ迷いも生じるが、迷う分だけ人生の回答の数も多くなり、下らない事かもしれないが、些か人生が面白くなると思う。

ミームのもたらす文化のイメージ
  • この記事を書いた人

yu-sinkai

-哲学ブログ