哲学ブログ

調和~学の目的~

 「人々が自分に調和してくれるように望むのは非常に愚かだ」・・・ゲーテ

 「自由な、調和のとれた、何気ない殊(こと)に何気ないといふ事は日常生活で一番望ましい気がしている」・・・志賀直哉

 以前、「学と学歴」みたいなことを記載しました。私はその中で「学とは、自分が生きるために必要な知識を得て、習得するものだと私は考えている。」なんて、調子こいてそんなことを記載しました。ただ、私自身はそう考えているのは事実です。しかし、自分自身の学という回答を少し深堀すると、やはり迷ってしまいます。

 「自分が生きるために必要な知識」という事に関して、仕事面(子供なら学業)とプライベート面にざっくり2種類に分けられると思います。仕事面に関しては、目的は簡単ですね。自分の仕事に必要な学ぶべき知識は大半の人が分かると思いますから・・・まあ、分りにくい場合もありますが、仕事という目的がしっかりしている分、目的にはたどり着きやすいと思います。

 プライベート面に関しては、簡単だったり難しかったり、10人10色の気がします。プライベートは自己の自由配分領域が広いですので、自分の好きな時間を過ごせますので。ただ、プライベート面の中でも「自分が生きるために必要な知識」ってあるの?と思う人もいると思います。まあ・・・そんなのない人の方が善いと思います(;^_^A

 ただ、私自身はやっぱり必要だと思ってしまうので、考えてしまい考慮迷子になってしまいます(-_-;)

 最近、私自身、学とは自分の人生の中で「調和」をするために学んでいるのではないかと、考えています。人生における様々な面から見てもそう思えてしまいます。

 職場、家族、一人の時間・・・様々な場面で調和をとりやすいように、学ぶ必要がある気がします。職場や家族に対しての調和は分かりやすかもしれません。でも1人の時間の調和は分かりづらいですね・・・まあ、「自分の思考と自分の気持ちとの調和」みたいな感じです。多分、私はこれができなかったため、「哲学」という就職に役に立たないような学問を専攻したんだと思います。

 料理に必要なのも調和だと思います。味の濃い・薄いだけでなく、季節的な事や栄養学的な事、個人個人の好み的な事に関してもなんかそう考えたりします。

 「過ぎたるは猶及ばざるが如し」・・・孔子

 この言葉は真理の1つだと思ういます。ただ、個人個人・場合・立場などによっては、過ぎたる方が調和が取れたり、及ばざる方が調和が取れたりすることも真理の1つなような気もします。

 うーん・・・なんか、学ぶことのは生きるために必要な知識とは思いますが、その知識を生きやすくするために様々な調和の材料にすることが、私の人生において必要なことかもしれない・・・何と思う今日この頃でした。3日後くらいに、意見が変わっていたら、なんかスミマセン(~_~;)

調和のイメージ
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yu-sinkai

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