虫の鳴き声や葉の擦れたり、川の音等の所謂「自然の音」をメロディーのように美しく感じられるのは日本人とポリネシア人だけだと研究で分かっているそうです。
「西洋人は虫の音をノイズ(雑音)を処理する音楽脳(意味あるものとしては受け取らない脳)で処理するのに対し、日本人は虫の音を左脳の言語脳で会話のような【声】として受け止める・・・と実験で明らかになっています。」・・・ニッポンのココロの教科書
日本人は虫の声や自然の音を「声」として聴く事ができるそうで、だからこそ自然界の音をあらわす言葉であるオノマトベ(擬音語や擬声語、擬態語)が滅茶苦茶多いとのことです。
例えば、虫の鳴き声で「ミーン・ミーン」や「ツクツクホーシ」、川に桃が流れていると「どんぶらこ~」、風が吹くと「そよそよ」、ないも音がなければ「シーン・・・」なんかが分かりやすいと思います。
以前、ブンジュ村の話を記載しましたが、ブンジュ村の人は「日本人は虫の声が聴ける種族」と思っているそうです。最初は「なんじゃそりゃ?なんかNARUTOっていう漫画でそんな一族もいたけど・・・」なんて思いましたが、あながち間違いじゃないということが分かりました。
これは、縄文大和言葉の名残といわれており、日本語の特性である母音が自然の音と共鳴しやすいそうです。
またまた例えですが、鐘の音は「ゴォーーーン!」、嫌なことを表現する「ガァーーーン!」、上記にもある虫の声の「ミィーーーン・ミィーーーン」や「ツクツクホォーーーシ」、波の音は「ザァーーー、ザァーーー」とか、母音がその音の余韻を残すからだそうです。
ちなみに、昔から色々とあるお隣の韓国や中国はそんなことはなく、西洋脳です。
自然の声を聞くことができるのは、日本人ならではのアイディンティテイというわけです・・・まあ、ポリネシア人もそうらしいですが(~_~;)
日本人は仏教が伝来するまで縄文時代は約1万4千年、弥生時代は約500年とその間は八百万の神を信じ、自然と共鳴する「アミニズム文化」を大事にしていたからかなぁ~・・・なんて個人的に思います。
ただ、現代人はほとんどの人は虫が嫌いだったり、都会にいれば自然を感じる事ができなかったり、田舎にいても自然を感じる余裕がないのも事実です。
しかし、自然を感じることが先天的に備わっている日本人が自然を感じる事ができないのは損じゃないかなぁ~とか、そもそも自然を感じることで身体と精神のバランスを日本人は保てるんじゃないかなぁ~・・・なんて、思いますさね( 一一)