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同調圧力~考慮すべきこと~

「常識?あ~凡人が仲良く生きるためのルールか!」・・・スティーブン・ジョブズ

「民主主義の絶対条件とは、過半数が愚かな判断をしない事である。」・・・漫画・自殺島

 同調圧力とは簡単に言えば、多数派の意見に従わないといけないと思ってしまう圧力のことである。社会や世論の意特徴の1つは、多数派から成り立っている。法律にふれなくとも、少数派は生きにくい。ある意味多数派の意見を聞けないからこそ、社会や世論からバッシングを受けていることもあるような気がする。

 日本はこの同調圧力が強いと言われている。学校では個性教育よりも社会性教育が強く、先生は「みんな一緒!」ということに重きを置く。まあ、みんな同じようにしてくれた方が、教育をする方としてもやりやすく、教育を受ける方も、不公平感は少ないかもしれない。

 そのせいか、日本人は自分を抑える、個性がない、スペシャリストが少ない等と言う評価もあるらしい。そういう面もあるかもしれない。同調圧力に従うように高校生までは教育されているのだから・・・ただ、それが悪い事だけということではない。

 確かに、日本人はルールを守るという意味や足並みをそろえるといった意味でも、同調圧力が他の国より強い。震災がお個あった後の配給などでも、きちんと順番が来るまで列を守る。そしてデモ等は起こさない。ある程度のヒエラルキーは守る。等、社会は個人の集大成であり、社会をうまく起動させるには、ある程度同調圧力がないと機能しない。

 しかし、他国よりも必ずしも同調圧力が強いとは限らない。例えば、海外ではデモに参加する人の映像をニュース等でよく見かける。そのデモに参加している何割かは同調圧力に従っている人達であろう。そう考えると、日本は同調圧力が強いというより、浅く幅広いという表現があっている気がする。大学紛争の時代は過激だったが、現在では過激な同調圧力は無いと思う。あるとすれば、新型ウイルスのコロナの対応であるが、それは日本に限らずである。

 まず言いたいことは、「同調圧力に屈したらいけない」みたいな考え方が主流になってきている気がする。なんとなく気分は分かる。ただ、同調圧力はただの現象であり、同調圧力自体にあまり善し悪しはないと私は考えている。必要であれば賛同すればいいし、必要なければ反対すればいい。問題は同調圧力の内容である。

 人間は安心したい生き物である。だからこそ、多くの人が賛成する方が正しいと思い込みがちになるのではないか?と私は考えている。そして、安心したくて同調圧力に従うのであれば、それはそれで人生生きやすくなり、「安心したい」という目的を果たすのが大事ならば、同調圧力に従う方が賢い。

 ただ、同調圧力に従うことは多数派だから正しいとは限らないという考えは必要である。もちろん、正しかろうが正しくなかろうが、同調圧力に賛同した方が生きやすいので、賛同していく生き方に対しては、批判すらしない。しかし、その中でも、自分で選択したという責任は持つべきだとは思う。

 物事を判断するときに賛同する人間の数は、確かにその物事における是非の指標にはなる。またそれに加え人間は基本的に責任を取りたくない。しかし意見は言いたいし、権利は主張したいものである。多数派の方が責任分散も出来やすく、意見を通すかどうかは別にしても意見は主張できる。だからこそ、多数派に賛同しやすいものである。

 しかし、多数派が正しいとは限らず、多数派の意見が間違っていた時に、多数派に賛同したことを選択した自分の責任を顧みず、多くの人が賛同していたから自分も賛同したので自分に責任はないと等と主張することは、おかしな話である。

 「みんながそう言うから・・・」という主張は子供時代までである。社会でも職場でも同じ主張をする人がいる。その主張は言い訳にすらならない。何故なら、子供は自己判断がまだできないからこそ親の庇護のもとにいる存在であるが、大人は自分の責任により自己判断をしないといけないからだ。

 「多数派が信じるからその意見は正しい」と解釈するのではなく、「何故多数派がその意見を正しいと思っているのか?」を自分で考慮して解釈し、納得したうえで賛同するのが、大人だと思う。

 そして、同調圧力が善い悪いではなく、そこに従うべき必要性や、自分の考えはどうなのか?ということも踏まえて賛否した方が、より納得できる人生を歩めるはずである。

自粛警察
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