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虚構と事実・本能〜認知革命〜

「最も強いものが生き残るのではなく、最も賢いものが生き延びるわけではない。唯一生き残ることが出来るのは変化できるものである。」・・・チャールズ・ロバート・ダーウィン

 私の学生時代は、人類の進化は「アウストラロピテクス(約400万年前)から「北京原人やジャワ原人(約78年前)」、「ネアンデルタール人(約40万年前)」から「クロマニョン人(約4万年前)」、そして「現代人」の順で進化してきたと習った。下記の図のような感じである。

しかし、今では「ネアンデルタール人」等の様々な種類の人類、を我々の先祖である「ホモサピエンス」が絶滅させ、現在の人類は食物連鎖の頂点に属する所謂「地上の王」のような存在になったらしい。特にネアンデルタール人VSホモサピエンスの争いがあった。

 30年万年くらいから人類は火を使い始めたと言われているが、それでもまだまだ食物連鎖の中では取るに足らない存在だった。我々の先祖であるホモサピエンスは20万年前くらいから生存していた。ネアンデルタール人の方がホモサピエンスより体も頭も大きかったらしく、道具を使うのはネアンデルタール人もホモサピエンスも同じであり、しかもネアンデルタール人の方が強いフィジカルを持っていた。

 では、ホモサピエンスがネアンデルタール人より頭がよかったから勝てたのか?というところなのだが、ホモサピエンスに約7万年前に「認知革命」が起こり、「虚構を共有する」ようになったため、ネアンデルタール人を滅ぼし、他の人類も滅ぼし、「地上の王」になったらしい。この話は「サピエンス全史」という本で紹介されているらしい。(私はまだ読んでないが・・・)

「虚構を共有する」この情報を聞いた時に、すごく人間の人間的な本能に対して合点がいった。

人1人が組織をまとめて動かすには、約150人が限界らしい。これをダンバー数と言い、軍隊にも使われている数字らしい。しかし、キリスト教や仏教、ユダヤ教やイスラム教など宗教がいい例であるが、信者を何万人をまとめているのは、「神話」であったり「教え」であったり、人間が創った「虚構(フィクション)」を事実と思うことで、まとまるのである。

 そして、「信じる者は救われる」に近い現象ではあるが、「信じる者は無謀になれるくらい強くなる」という事である。「虚構を集団で共有した後に信じる者のために無謀になれる共有」も出来る。それは、とてつもない熱量を生むのである。

 また神話において、メソポタミア神話、エジプト神話、ギリシャ神話、日本神話等の「多神教」は、似ているところがある。例えば大体、最高神は「太陽を司る神」であるところや、結構秩序を壊す好き勝手する神がいる事などである。

 神話同士での影響があったという仮説はあるが、私は「虚構を信じる中での人間の認知革命の法則」にのっとっているようにも思う。例えば、「多神教」はまず混沌とした世界があり、そこから神が生まれる。「1神教」は神がまずいて、世界を創るというような、ある種人間は、虚構を考えるときの法則があるかもしれないと感じるのである。

 そして、現代人である私達も同じように「虚構(フィクション)」を「事実」として捉えている。その為、人工的世界は発展した。例えば「○○法人」というが、法人は「自然人以外で、法律によって「人」とされているものをいう。ここでいう「人」とは、権利義務の主体となることができる資格(権利義務)を認められたものをいう。(Wikipediaより)」

 法によって人として扱うことが出来る集団意志を「法人」という。まさに虚構(人ではないもの)を事実(人と信じる)としているのである。また、貨幣制度も似たようなものである。例えば千円で何が食べれるか?と考えた時に、色々なものが思い浮かぶはずである。

 しかし、実際に千円札は千円札で、食べれるものではない。「変える」という事実はあるあるが、千円がその食べ物に対しての等価という「虚構(フィクション)」をみんなが信じているからこそ、人間は「貨幣制度」において発展した側面がある。

 この認知革命を知りる私は、人間は「生物的本能」「人間的本能」「人工(知識)的本能」の3つからなるのかもしれないと思っている。「食欲・睡眠欲・性欲」は「生物的本能」である。「宗教や法人、貨幣や恋愛」等を信じるのは「人間的本能」である。「死に対する美学や、人生観、知的欲求を満たす事」等は「人工(知識)的本能」であるのではないかと考えている。

 人間の体は自然でありそこに生物的本能がある。また人間的本能はホモサピエンスとしての虚構を信じることが出来る(信じてしまう)本能ある。そして、人工(知識や教養、ああすればこうなるという考え)等をしていしまう本能があるという事を理解していれば、人生は幾ばくか面白くなるかもしれないと思うのだが・・・

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