「死ぬ気で頑張れ!」Or「必死でやれ!」
それはそれは昔のことですが、なんか小学生の頃の野球のコーチや大学受験前に高校の先生、就職したところのオーナー等に言われた事があったような無かったような・・・
そもそも「死ぬ気で!」って何?と最近思ったりします。意味はもちろん分かります。類義語では「一生懸命」です。ちなみに「一生懸命」は元々「一所懸命」であり、自分たちの「所(土地)」を「懸命(必死)」に守るところからきているそうです。
「死ぬ気」や「必死」・・・日本人は「死」と言う概念に美徳を持っているのかもしれませんね・・・他国のことは詳しくは知らないですが(^_^;)
「死ぬ気」や「必死」、「一所懸命」等はそれこそ争いが必要な時代だったからこそ生まれた言葉です。どの国も国内で同士でも争い、外国とも争ってきた歴史があります。
言い換えれば「負ければ死ぬ」のが当たり前の時代だったからこそ、「自分が死んでも相手も殺す」というような「相打ちでもいい!!」というような概念から「死ぬ気!」という言葉ができたのかもしれません。
「必死」は、「必ず死ぬ」と書くので、「負けると分かっている戦いでも戦う事」や「勇気を出して死ぬこと(切腹や自害)」等のことを言うのかもしれないなぁ~なんて調べもせず勝手に思ったりしてます。
例えば、日本史で言えば、豊臣秀頼VS徳川家康の戦い「大坂冬の陣」では、真田幸村がそれこそ死ぬと分かっていて豊臣秀頼について、結局案の定負けたが、絶対的優位な徳川家康が真田幸村に「もうやられる」と思い、2回自害しようとしたらしいです。
あと、坂本龍馬の幼馴染で「土佐勤皇党」の長で有名な武市半平太は、お偉いさん方の暗殺等の罪により「切腹」を命じられた時に「三文字切腹」という、三文字(三回)に切腹したそうです。
本当に「死ぬ気」や「必死」です。
確かに、そんな歴史から学ぶことも色々とあります。
ただ、そのことなんかを表した言葉だけが先駆けして、簡単に先輩や上司なんかに「死ぬ気で!」とか「必死で!」と言われると、まあ腹立つもんです。
言葉は「生きている」ものだと私は思っています。ただ、それは言い換えると人間の生きてきた歴史で「変化していくもの」という事です。なので、「死ぬ気や必死」も昔ほどの強い意味はないのは分かります。
そして、「死ぬ気」や「必死」に思うことは、短期間のみしか頑張れない事や、長期的に続くと本当にその通りになるか、の2択なんじゃないかなぁ~なんて思ったりします。
なんてなんて、空無的にどうでもいい事ですが、「死ぬ気で頑張れ!」とか「必死でやれ!」とか友人や部下、子供なんかに簡単に言うのは、あんまし良くない事ですさね・・・( 一一)と思う今日この頃ですが・・・