「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」・・・孔子
「君子(賢い人)は人と協調するが主体性を失わず、小人物は、表面では同調するが心から親しくなることはないということ」のような意味の言葉である。以前にも同調圧力のことについては記載した。ただ、同調圧力という現象について、もっと深く考慮をしてみたいと思う。
「同調圧力」・・・この言葉を聞くと、悪い意味にと捉えられがちでるが、同調圧力自体に良し悪しはない。その内容がどういうものであるかで、同調圧力の良し悪しが決まるのだと思う。特に、日本人は「同調圧力」が強い文化を持っていると言われる。現在では「個性教育」等の言葉もあるが、個性よりも社会性を重んじる教育の方がまだまだ強いと感じる。
日本では「村八分」という罰が昔からあり、今でもこの言葉は使われる。「村のルールーを守らなければ、最終的には火事と葬儀以外は手伝わない」という罰であり、簡単に言うと「ルールを守らなければ差別する」という事である。そのルールというのは法のような物でもあるが、厳密には決まっていない場合もあり、多くの人の意見に賛同しないといけないという実態もあった。
ただ、この「多くの人の意見に賛同」というのは、ある意味現代も同じであり、選挙制度などの「民主主義」の第一原理でもある。民主主義の成功の条件は、「過半数が愚かな判断をしない」ということである。逆を言えば「過半数が愚かな判断」をしたとしても従わなければいけないという事である。
さらに、同調圧力に従う人の根本心理は「我慢」である。「私も我慢しているのだから、あなたも我慢するべきだ」という心理である。コロナ禍により、一時期「マスク警察」や「自粛警察」などネットをはじめ、民間が民間を何故か取り締まろうとする現象が起こった。これはある意味、日本特有の現象でもあった。
日本はコロナ禍でも、マスクをつけまいが飲食に行こうが法律的な罰則の規定はない。しかし、世論的に「マスクをつけろ」・「家に閉じこもり自粛しろ」という民間人が現れたわけである。これこそまさに「自分も我慢しているのだから、あなたも我慢するべきだ」という心理にもとづいての行動である。しかも、おそらく「マスク警察」や「自粛警察」は、自分の「我慢」を「世の中のため」という、自分なりの大義に意識的か無意識的にすり替えていると、私自身は思う。
職場でもよく聞くような言葉がある。特に体育会系に多いような言葉だとも思うが、「うちの職場ではそれが当たり前だから」・「自分達もそうだったから」・「今までこうだったから」等であり、「自分たちが我慢をしてきた分、後輩も我慢をするのが当たり前だ」というような発想である。
もちろん、仕事に限らず生きていく上で大なり小なりすべての人に我慢は必要である。しかし、我慢をさせることが目的になっているのであれば、目的は変わる。そこに気付かず我慢を強いる人が多いからこそ、同調圧力自体が悪い意味にとられているのだと思う。
同調圧力の中には協調性という言葉も含まれると私は考えている。協調性とは「他の人と物事をうまくやってゆける傾向や性質」のことを指す。「自分が集団と協調しないとうまくいかない」と思うからこそ、「社会性」や「規律性」も養われる。「社会性」や「規律性」の根本的な心理は「我慢」というより、「協調性」という教育による心理である。
日本は「安全な国」と言われているし、私もそう思う。ただ、安全な国世界ランキングでは12位であるが・・・しかし、治安がいいという事は間違いないらしい。その安全にはもちろん法律という強制力がある。しかし、社会に迷惑をかけてはいけないという同調圧力もある。その同調圧力の中には個々人の「我慢」から生まれる強制力も、もちろんあるが、「社会性」から生まれる協調力もある。
日本は同調圧力の中でも協調力もあるからこそ、災害時でも物資支援があるときにも列を乱さないことで、世界的にも評価を受けた側面もある。他にも盗難が少ない事や、自動販売機や田舎によくある無人販売などが多いことは治安がいい証拠であり、その根本的心理は「協調」にあると私は思う。
ただ強制力が根本にある同調圧力はただの苦痛現象である。しかし、その現象は自然的な現象ではなく、人が作る人口現象である。人口現象は、もちろん人が1人1人作ることで起てくる現象である。時折、「自分が人に我慢を押し付けることが強制的な同調圧力を創るきっかけになっているかもしれない?」と思う事は、意外に大事なことのようにも思う。
同調圧力という現象は、すべての人が受ける現象であれば、すべての人が作り出す現象でもある。その中でも「強制力からなる同調圧力」が強い組織や団体はつまらないものである。「強制」より「協調」を意識することで、「協調的な同調圧力」がある組織や団体は、幾何かは面白く生きれるものであると思う。
であれば、自分が我慢等を原理とする強制力のある同調圧力を担う1人になるか、自分が社会性等を原理とする協調力のある同調圧力を担う1人になるかで、人生がつまらなくなるか、面白くなるかの分かれ目になるのかもしれない・・・等と考える。