哲学ブログ

少子化~自然と人工~

「通りゃんせ!通りゃんせ!」

(ここはどこの細道じゃ?)

「天神様の細道じゃ!」

(ちいっと通して下しゃんせ!)

「御用が無い者通しゃせぬ!」

(この子の七つのお祝いに、お札を納めに参ります。)

「行きはよいよい・帰りは怖い。怖いながらも通りゃんせ!通りゃんせ~~~」

とおりゃんせ(作者不明)

 日本人の8割は知っていると思われる歌である。この歌は江戸時代に作られたらしく、その裏側には「大人になれない子供達」に対しての想いがあるとも言われている。

 江戸時代の平均寿命は30歳~40歳と言われている。平安時代の平均寿命は30歳と言われており、あまり大差ないとも思える。

 江戸時代を切り開いた徳川家康は75歳で亡くなる。死因は胃癌が原因とも言われている。平安時代に栄華を誇った藤原道長は62歳で亡くなる。死因は糖尿病と言われている。この2人は天下人だったから長生きしたのか?と思う人もいると思うが特別そうではない。

  江戸時代の有名な絵師である葛飾北斎は90歳まで生きている。民衆も大人になれさえできれば、それなりに長く生きていたのだ。しかし、大人になれない子供たちが多かった。言い換えれば乳児~幼児の死亡率が多かったわけである。

  江戸時代の第11代将軍の徳川家斉は53人の子供がいたが、その内の32人は5歳までに亡くなったと言われている。日本でおそらく当時、一番いい環境にいたにもかかわらずだ。また、13世紀の外国の話ではあるが、イングランドの王子エドワード1世は16人の子供がいたが、9人は幼児前に亡くなる。

 当時最高の生活ができたとしても、子供は大人になるまでに半分以上はなくなってしまい、庶民の子供ならなおさら死亡率が高かった。

 そこで江戸時代の人は、子供は7歳までは「神様の子」と思い、亡くなったら神の御霊に帰るのだと思いたかった。だからこそ、冒頭の「通りゃんせ」では、「七つの子供のお祝い」に天神様にお札を納めに行く。

 7歳になって、初めて人の子になるとういうわけである。

 そして、天神様に行くまでは「神様の子」であるから「行きはよい」が、帰りには「人の子」になるから神から守ってもらえなくなるということで「帰りは怖い」らしい。

 と・・・前置きが長くなったが、私自身は「少子化が何故起こったか?」というと、子供が「自然の産物から人工の産物」になったからだと考えている。

 昔、子供は「神(天)からの授かりもの」であった。しかし、近代化が進み、高度経済を終えた日本にとっては子供は「人工的に創るもの」になった。もちろん、これを否定しているわけではない。私自身もその中の一人である。

 これは、「ああすればこうなる」という思想のもとで育ったが故の結果であると私は考えている。子供のコストを考えるようになったとも言っても過言ではないと思う。

 子供を大人になるまでに育てるのに、約3000万円くらいと言われたりする。その資産結果から起算して子供の数を限定する人が多くなったことや、子供がいるメリットとデメリット等を考えてしまう人が多いからでもある。

 簡単に言えば、夫婦の所得に応じた子供計画を立てるようになったということである。

 であれば高所得者の方が子供を多く産む割合は高くなるはずであり、その統計もある程度出ている。年収500万以上の家庭では10%以上高くなるらしい。しかし、子供を産まない理由が所得だけでない気がするのは私だけだろうか?

 私も娘が2人いるが、金銭的なことや自分の年齢的なこと等で、子供を増やそうとは思えない。しかし、それだけの理由ではない。

 ひどい親になると、子供の育成を「投資」とまで考えてる人もいる。子供に「いくら賭けたのに・・・」等と言う親がいたら、その典型だと思う。

 だが、コスト以上に、何かしらのストッパーがある気がする。それは「創る」という概念かもしれない。であれば、おそらく国が子供支援に力を入れても、あまり効果がないように思う。

 少子化現象は人間が増えすぎたための生物学的なことなのか?人間が子供を自然の産物ではなく人工的造物と考えている事なのか?日本という民族的な習性なのか?等と疑問に思う。

 ちなみに、人口増加率はインドやアフリカ諸外国が増えることにより、日本自体は人工が減っても、世界的にはまだまだ人口増加は起こり得る。

 しかし、少子化の国もある。

 少子化率で言えば、1位「香港」、2位「日本」、3位「ドイツ」と言う様なデータもあるらしい。

 となれば、少子化は経済的なことだけで解決できないということでもある。確かに日本は経済的に豊かとは先進国の中では言い難い。経済発展が30年程止まっているとも言われるくらいだからだ。

 日本よりも経済が芳しくない国も多くあるが、日本よりも出生率が高い国の方が多い。であれば、出生率は経済より思想に左右されるものであると私は考えている。

 そして、子供は「創るもの」というより「授かるもの」、という考えの国の方が、出生率は上がると思う。

 まあ・・・言い方を変えれば、「創る」というより「出来たらしょうがない」と言う様な表現にもできるが・・・( ̄▽ ̄;)

 子供を「自然的な産物」と考えるか「人工的産物」と考えるかで、出生率が変わってくるのではないかと思う。もちろん、生まれた子供が育ちやすい環境を作るのは国の仕事である。

 が・・・人間は思想的な生き物であるから、子供に対しての思想事態を考えていかないといけないと私自身は考えている。

 「子供だからしゃーない!」とある程度の範囲内で考えるのが 大人である。

 子供を「人工的産物」と考えて親の思い通りにしようとしてしまうよりは、「自然的産物」と考え、子供の不理解な行動も許容ができた方が、少子化の解決の第一歩となり、さらに親になった人は、より人生を面白く生きれると思う。

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yu-sinkai

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