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合理的は幸せ?~感情~

「人を雇うのに見るべきは、誠実さ、知性、エネルギーという3点だ。最初の1つが化ければ残りの2つがあなたを殺しにかかる。」・・・ウォーレン・バフェット

 合理的に物事を考える力は大事だと思います。西暦1500年からの産業革命以降の近代科学は。科学的・数学的ツールを用いて発展しており、もちろん現代でもその根本構造は変わらないです。

 統計的な理論やデータ分析による報告、AIによるビッグデータ解析からの回答等、様々な人工的進化はある意味「理論の進化」と言っても過言ではないと思います。理論的というのは言い換えれば合理的という事に繋がります。ただ、だからと言って「理論的思考が幸せになる思考か?」というとそうでもない気がします。

 理論は人間の感情を無視すると同時に、時には生物的本能や人間的本能を否定します。例えば、食べたい物があっても理論的に必要のないカロリーであれば、合理的な人は食べないと思います。しかし、本能的には食べたい・・・その人の状態にもよりますが、合理的に考えて常に我慢をすると、なんか具合が悪くなりそうな気もします。

 他人に関しても、合理的な考えの人は人の感情を読み取れない傾向にあると私自身は思います。合理的な考えしかできない人は数学的な考えで人を動かそうとします。しかし、「1+1=2」でも「1人+1人=2人分」とはならないのが、人間です。

 また、人間の脳は意外に原始的な部分があり、よく錯覚します。理論的思考はできても、意外に理論的感情にならない人の方が多いのではないか?なんて考えたりもします(・_・;)芸能人の不倫騒動がよく報道されますが、もし合理的に考えて本能を無視できれば、芸能人の不倫はないはずです・・・リスクが一般人より高いですから・・・でもありますね(;^_^A

 それだけ、人間は不合理的な思考の生き物でもあるという事だと思います。ただその中で、常に合理的に考える人もいます。私もどちらかと言えば合理的に物事を考えようとする方だと思います。

 しかし、問題解決には合理的な思考は必要ですが、「幸せ」となると話は別です。だって、「幸せ」は理論だけでなく感情を満たすことも必要ですから・・・・

 物事を合理的に考えることは必要ですが、合理的だけに偏るとそれはそれで生きにくくなります。感情も然りです。

「過ぎたるは猶及ばざるが如し」・・・孔子

 ってやつですね・・・合理的も感情的も折衷して生きることができれば、なんか生きやすくなりそうな気がします(*^_^*)なんてなんて、そんなバンビーノ(坊ちゃん)的な甘々なことに頭を悩ませている今日この頃でした(;一_一)

合理的
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