「人の世に道は一つということはない。道は百々千もある。」・・・坂本龍馬
「私は、自分の意志で選択して築きあげられたものである。」・・・カール・グスタフ・ユング
夢を持つことの大事さは、幼少期よりよく言われていたことを記憶している。また、私の子供は将来の夢はないらしい。しかし、学校の先生は「夢を持った方が良い。」と家庭訪問の時に話をしていた。人間社会における夢とは職業を指す。私には小さい頃からこれがあまり理解できなかった。
漠然と「こういう人間になりたい!」「なんかこんなことを仕事にしてみたい!」というのはあったが、「夢」という言葉の重みをもつほどつきたい職業はなかった。「嫌いな職業に就かなくて、生活ができればいい」となんとなく考えていたし、今でも同じような考えである。だからこそ、就職やお金を稼ぐことにあまり役に立たない「哲学」に惹かれたのかもしれない。
しかし、小さい頃から夢を持ち、それに向かって努力している人に対しては尊敬しているし、小さい頃から目標を定めていたため、叶えられる可能性が広がることも分かる。
赤ちゃんの頃は可能性は無限大かもしれない。しかし、年を取るごとの職業的な可能性はだんだん狭まり、自分の人生の経験からのみ選択可能になるかのように思ってしまう。当然40歳になってからオリンピック選手を目指すのは無理である。極論ではあるが・・・また、一から職種を変えるのも躊躇してしまう。
そこには様々な理由があり、人生の選択肢を制限してしまう。例えば、30歳や40歳、50歳は職種には寄るがその職種グループになれており、一から違う職種グループに転職すると、地位が下がる(もしくは給料が減る)等のため転職を避ける。また、職種自体を変えることは「出来るかどうか分からない?」という、非常に高い人生設計に対するリスクを伴う為、もちろん転職を避ける。
人間は、年を取るごとに人生に対するリスクマネジメントが上手になっていく。しかし、リスクヘッジを強化する反面、人生の選択に制限を必要以上にかけてしまう気がする。それは私自身も含めてである。
ちなみにリスクヘッジとは、危険を予測して、危険を避けるように対策を計ることである。
日本は「仕事の流動性が低い。」という特徴がある。簡単に言うと起業や転職する人が少ないということである。そこには様々な要因がある。国民性としては「雇い主を裏切るのは不道徳だ!」等の様な儒教的感覚があるかもしれない。また「成れているところで無難に仕事したい。」と言うような保守性が高いのかもしれない。
子供がいる人は、「起業してのハイリターンより、起業せずローリスクが必要!」と思うことも珍しくなく、私もその一人である。
そして、性格に関しても同じように「齢を取ると(30歳以上)性格は変わらない」と考えている人が8~9割(私の体感)いる気がする。しかし、私自身はそれに関しては年を取ってからの「学」を学ぼうとしない人が多いという回答に行きつく。
何故なら、人と付き合うための性格に関しては、自分でコントロールできると言うことと、「学を学ぶ事」≒「変わる事」と私は考えているからだ。以前にもブログで記載したかもしれないが、「論語」では
「朝に道を聞かば、夕べに死せるも可なり。」
という言葉があり、「易経」では、
「君子豹変す」
という言葉がある。様々な解釈があると思うが、「朝に道を聞かば、夕べに死せるも可なり」という意味は、「朝に自分が変わるような本当の学びをしたら、夕方には学ぶ前の自分じゃない」であり、「君子豹変す」という意味は「賢い人は、自分の過ちが分かればすぐに悔い改め、考え方を変えて性格も豹変する。」と言う様な解釈に私は捉えている。
そう・・・年を取ると自分は「変われない!」と思い込んでしまう風潮が、人類なのか日本人なのかだからは分からないが思ってしまうらしい。
これは性格に限らず、転職等を考える職業でもそうだと言える。上記に例に出した「40歳からオリンピック選手」は、まあ・・・物理的にというか科学的にも無理である。しかし、職種を変えることは無理ではない。私は体が元気であれば(飲酒喫煙しているので難しいかもしれないが・・・(・・;))80歳まで働きたいと思っている。
そう考えると、後40年以上は働くわけであり、その長い時間を考えるのであれば、途中で「全く関係のない仕事をしてもいいかな?」と思ったり、今の仕事のピポット(軸)をずらしながら副業や転職も面白いかもしれないと思い、行動している。
年を取るごとに様々な可能性が狭まることは間違いなく、私自身もそう考えている。しかし、思っている以上に年をとっても可能性はあるとも考えている。それは人生100年時代になった医療や科学の恩恵でもある(まあ、呪いかもしれないが( ̄▽ ̄;))。
そして、人間は自分の思い込みにより、自分の人生の制限をしている面がある。
私自身も人生に制限をかける方が楽だと思う。「諦めやすいからだ!」でも、それは人生を「楽(らく)」にはするが「楽しく」にはしない。他者から見た私自身の下らない人生も、「自分なりの制限緩和」が出来れば、まだまだ面白い人生を送れると考えている。