哲学ブログ

自立とは?~自己中心性からの脱却~

「自立とは、『わたし』からの脱却である。」・・・岸見一郎・古賀史健・作「幸せになる勇気」

「世界で最も素晴らしいことは、自立の方法を知ることである。」 ・・・モンテーニュ

 「自立」・・・「精神的自立」、「経済的自立」、「自立支援」等、自立には様々なカテゴリーがあり、それに加えさらに様々な考え方もある。

 「精神的自立」・・・誰とも「共存」しない事なのか?それとも誰にも「依存」しない事なのか?

「経済的自立」・・・もちろん自分で稼いでやりくりしているのは経済的自立であるが、例えば膨大な親の遺産があり、働かなくても生きていける人は経済的自立と言えるのか?

 「自立支援」・・・介護の世界では、日本は「介護はお世話」と言うパラダイムから「介護は自立支援」と言うパラダイムにシフトすると明確に打ち出している。しかしそもそも「自立支援とは?」という議論もでている。

 「自立」とは大人になる為の絶対条件の様なキーワードとして使われている面もある。しかし、「自立って何?」と問われて、説明できる人がどれだけいるだろうか?私自身は、以前も紹介した名言であるが、

 「人間としての基本は、自分で考え、自分で行動し、自分で責任をとることである」・・・マーガレット・サッチャー

 と、この名言通りにできることである。もちろんすべてのことにおいてとは言わないが、原則この名言を守れる事と考えていた。ただ、それが真理だとは思えておらず、「自立」と言う言葉に対しては漠然とした考えが強かった。

  しかし、アドラー心理学の本である「幸せになる勇気」と言う本の中で「自立とは?」という題目に対して説明している場面があり、その考え方が「そんな考え方があったのか!なるほど!」等と思ったので少し紹介したい。

 アドラー心理学での「自立」は「自己中心性からの脱却」ということである。

 「自己中心性からの脱却」を、この幸せになる勇気では子供のライフスタイルで説明している。

 赤ちゃんは自己中心的な存在として生まれてくる。お腹がすいたら泣く、排泄したら泣く、不快であれば泣く等そこに我慢はない。そして、母親や父親の都合等も知ったことではなく、自分の都合で泣く。

 そして、幼少期も基本的には自己中心的な存在である。この本に記載している少年の例では、ある少年を母親が寝かしつけて部屋を出た際に子供が泣き出し母親が「何で泣いているの?」と聞いたら「暗くて怖かった!」と言って泣きやんだ。

 そこで少年の目的を察知した母親はため息交じりで「それで、お母さんが来てから少しでも明るくなった?」と話をした。

 とどのつまり、少年は暗いのが怖かったのではなく「母親を独占したかった」と言う目的のために泣いたということである。子供は自分の「弱さ」を最大限にアピールすることによって親から助けてもらい、自分が世界の中心に君臨しようする。

 そして、大人でも自分の不幸や不遇な環境、傷等の所謂「自分の弱さ」をアピールして他者を心配させ他者から助けてもらおうとする人もいる。「他者から助けてもらう」を言い換えると「他者を支配する」ことである。

 しかし、人間は社会的生き物であり、子供のように「世界の中心」的な存在ではいられなくなる。世間と折り合いをつけるようにもならないといけないし、自分は社会の一部・・・大きく言うと世界の一部であると了解しないといけない。

 そう・・・その世間との折り合いや世界の一部であると認識できて初めて自立したと言えるのである。それを言い換えると「自己中心性からの脱却」となるのである。

 簡単に言うと、社会や世間、世界と調和ができる人間になることが「自立」と言うように私は解釈している。そして、自分の人生の主語を「わたし」から「わたしたち」に変わることにより自立と成り得るとこの本には記載してある。

 「わたしの幸せ」「あなたの幸せ」と言う概念を一歩踏み越えて「わたしたちの幸せ」を考えることができるようになり、初めて「自立」ということになるのである。そして、その考えの根底原理にある感情が「愛である」と説明している。

 故に「愛する」ということで初めて「自立」が成り立つということになるのである。

 これは私の解釈であるが、「愛する」という対象は別に異性に対してだけでなく、自分の中の世間や仲間等に向けた感情だと考えている。なので、私の中では「愛」と言うより「信頼」と言う方がしっくりくる。

 人を「愛する」≒「信頼する」ことができることで、自分の人生の主語を「わたし」ではなく「わたしたち」と捉え、個人の幸せより集団の幸せを優先できることで初めて自立できたということである。

 そしてそれは共同体でどれだけ「貢献したか?」ということが重要になってくる。

 アドラーは、人間の幸福は「貢献感」であると説明している。そして自立するには自己の世界でなく共同体の世界で生きてそこで「貢献をしていく」からこそ「自立」出来るものであると説いているのである。

 確かに自己中心的に周りの助けを借りて生きていくより、他者との共存に協力して生きている方が、自立していると思う。何故なら、自己中心的な人は他者に依存しないと生きていけないからである。依存している以上は「自立」には成り得ない。

 大人になって自立できない人生はつまらない人生でもある。本当の意味で自立して人生を過ごすことは、人生を面白く生きる為に必要な考慮材料である。

アドラー心理学 幸せになる勇気
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