哲学ブログ

レクレーションからリ・クリエーション~「娯楽」から「再創造」~

「生き残る種とは、最も強いものではない。最も知的なものでもない。それは、変化に最もよく適応したものである。」・・・チャールズ・ダーウィン

「変化に対応する能力を高めるには、『自分は誰なのか、何を大切にしているのか 』を明確に意識することである。」・・・スティーブン・R・コヴィー

 以前、「LIFE SHIFT(100年時代の人生戦略)」のことを記載して、「教育→仕事→引退」と言うライフストーリーは私たちの時代にはもう当てはまらなくなってきているというようなことを記載しました。まあ、まだこの本を読み終わってはいないのですが・・・(^_^;)。

 ただ、その本を読み進めていくうちに、どういうライフストーリーがあるのか紹介されていくのですが、その中で「レクレーションからリ・クリエーションが必要」という事が説明されていて、「なるほど~(>_<)。」と思ったので、ざっくりご紹介させて頂きます。そこには、「有形資産」と「無形資産」という資産の考え方がでてきます。

 「有形資産」・・・言わずもがなですが、お金です。土地や有価証券、金銀、ゴールド等の一般的に言われる資産のことですね。

 「無形資産」・・・「スキルや知識。経験や仲間、評判」等の人生の生産性を上げる「生産性資産」、「健康や友人」等の人生の活力を担う                       「活力資産」、生産性資産や活力資産の中でも、自分の知識を深めて職を変える等効果を発揮する「返信資産」と、大まかに3つあります。目に見えず形もないですが、それは個人個人に蓄えられて資産という考え方です。

 これも以前記載しましたが、人生が仮に100年と仮定すると、一概には言えませんが80歳まで働かないといけない計算になるらしいです。ちなみにこの本では2007年生まれの神殿も半数は日本で107歳の寿命と書かれています。なんかすごいですね(^_^;)。

 私の父親世代はそれこそ「終身雇用神話」の時代であり、まさに「教育→仕事→引退」のライフストーリーで人生が完結していた時代です。まあ、家の親は転職したり、自営業を営んでいたり、父は73歳の今でもパートで無理なく働いているので、このライフストーリーには当てはまりませんが(^^;)。

 日本は世界トップの高齢化社会であり、どのような政策で高齢化社会を切り抜けるのか?等と自分の国が高齢化になる時の参考にするために、結構世界中から介護分野等でも注目されています。ただ、日本は生産年齢の減少も著しいので、現在の年金制度(賦課方式)は確実に崩れると言われています。

 ご存じの方も多いと思いますが、現在の年金は賦課方式というやり方であり、現在の年金の財源は、現在働いている人が納めている年金です。なので、働く人が少なくなれば1人1人が納める年金を上げざる負えません。しかし、それも難しい時には税金を上げる必要がでてきます。そこで、高齢者からも徴収できる税金である「消費税」が上がる可能性は今後も高いと思います。

 そうなると・・・私のような中年層は「年金を受け取る額は低くなる」+「金を受け取れる年齢も上がる」ことは容易に想像できますよね。しかも、「消費税も上がる可能性が高い」となりますので、結構重量級のトリプルパンチを受けざる負えない事になります。怖いですね(・・;)。

 なので、必然的に長く働かないといけなくなります。嫌ですね(;'∀')。しかし、高校や大学、専門学校で受けた教育だけで長く働けるか?という中々強度のある壁にぶつかってしまいます。

 例えば、調理師や看護師、大工等の体を使う仕事は年齢とともに難しくなってきます。事務やIT関係、タクシーの運転手等の直接肉体労働をしない仕事でもAIによって代替わりされてしまう可能性もあります。会社の重役になったはいいが、その会社がつぶれたらスキルを持っていないと再就職しても中々厳しい生活になります。

 なんてなんて・・・考えていくと「お先真っ暗!!」みたいに思えてきますね。しかし、先がどうなるかある程度予測できれば先手も打てますし、また「生き方を変えやすい時代」になるというメリットもあります。

 この前甥っ子がある大学の工学部に入ることになりましたが、将来のなりたい職業はないと言っていました。私はそれでいいと思いますし、工学部の大学に行ったから、それ関連の仕事を一生しなきゃいけないとも思いません。むしろ、やりたいと思った仕事であれば、何でもいいと思います。学んだことは、直接的な事に役立つだけでなく、間接的な事でも必ず役に立つ物だからです。

 しかし、やりたい仕事や仕事や人生の再創造をするには、現状の自分をよく知らないと危ういことになります。例えば中年の私が「野球選手になりたい」と思って、時間を費やしても、「時間の無駄+膝を痛める等の健康被害」なんかがもれなくついてきて、人生損します。また、何も勉強していない分野に手を出すと、十中八九、「破産」という現実がもれなくついてきます。

 考え方は人それぞれですが、「教育→仕事→引退」は、ある種の安定をもたらした時代でもありましたが、会社が倒産したり、リーマンショックみたいな世界規模の不景気が訪れたら、アウトです。この本ではそれらを回避するためのライフストーリーとして、「教育→仕事→ポートフォリオワーカー→引退」や「教育→インディペンデントプロヂューサー→仕事→引退」なんかの話がでてきますが、そこは置いときます。

 ただ、ライフストーリーが複雑化せざる負えなくなる可能性は高いです。でも、そのおかげで一つの仕事にすがりつかなければいけない時代も変わります。もちろん、学んだ一つの専門性を深く突き詰めて長く働くやり方もあります。なので、一概にマルチステージで生きるのが正しいとは私は思いません。

 そういう時代の中で、ライフストーリーが変化を伴い複雑化するという事は、言い換えれば「人生の可能性の選択肢を増やせる」と解釈してもいい気がします。もちろん、ただ、変化はすればいいという物ではありません。必要に応じて「改善という変化」でなければなりません。

  自分の人生の生きる手段を改善させていく思考を余儀なくされた社会の方が、ある意味一つの技法や組織にに縛られず、案外生きやすいかもしれないとも思います。チャレンジしやすい社会とでも表現すればいいですかね(^^;)。そして、色々なことを学びやすい社会でもあると思います。まあ、反対のデメリットも十分にありますが・・・( ̄▽ ̄;)

 そんな中で、自分をよく知り、自分の可能性を広げていければ、下らない人生も面白く生きれると思います。その必須条件が、休日等の空いた時間をレクレーション(娯楽)からリ・クリエーション(再創造)に変えていかないといけないという事です。まあ・・・それもしんどい気がします。

 しかし、リ・クリエーションをレクレーションのように楽しみながらできれば、そんな人生も面白そうだな!と私個人は考えています(/・ω・)/

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yu-sinkai

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