哲学ブログ

辞世の句〜願いと悟り〜

「散りぬべき 時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ」・・・細川ガラシャ

〈訳〉散るときを知ってるからこそ、世の中の花も人も美しい物(その生まれてきた物)らしいものだ。

「後の世も また後の世も めぐりあへ 染む紫の 雲の上まで」・・・源義経

〈訳〉死んだ後の世の中でも、その次死んだ後の世の中でも、巡り合おう(武蔵坊弁慶と)。浄土(あの世)の雲の上に行ったとしても。

「六道の 道のちまたに 待てよ君 遅れ先立つ 習いありとも」・・・武蔵坊弁慶

〈訳〉六道(あの世)の道の途中で待っててください、我が君よ(源義経)。どちらが先か後に行くか分かりませんが。(自分が先に死んだら待ってます)。

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「先に行く 後に残るも同じこと 連れていけぬを分かれぞと思う」・・・徳川家康

〈訳〉先に死ぬものも、残るものも同じようなものではある。ただ、(家臣等を)連れていけないことが死という別れなんだと思う。

「露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」・・・豊臣秀吉

〈訳〉露(つゆ)の様に生まれてきて、露の様に消えていく自分の命だ。浪速(なにわ:栄華であった大阪城)のことは、夢のようであった。

「大ていは 地に任せて 肌骨好し 紅粉を塗らず 自ら風流」・・・武田信玄

〈訳〉大体のことは、世の中の風潮(世論)に自分を見出して死んでいくものである。その中でも見せかけだけで生きるな。本音で生きることが一番自分の人生に納得ができるものである 

 6つの有名な辞世の句である。訳は自分なりにしたところもあるので、違う解釈があるかもしれない。ただ上の3つと下の3つの辞世の句は同じ辞世の句ではあるが、カテゴリーが違う。

 その違いは、上の3つは、「死を他から迫られて残した辞世の句」であり、下の3つは「天寿をまっとうするときに残した辞世の句」である。

 私が思うに、「死を他から迫られて残した辞世の句」は願いが込められており、「天寿をまっとうするときに残した辞世の句」はその個人なりの人生の悟りを記しているものである。もちろん、すべてがそういうものではない。しかし、大まかにはそういう傾向があると思う。

 細川ガラシャ(明智光秀の子)は「人として美しく死にたい」。源義経と武蔵坊弁慶は「死んだ後も会いたい」という願いがこめられており。家康や豊臣秀吉、武田信玄は「人生とはこういうものであった」とある意味悟りを唱えている。

 ただ、辞世の句を「かっこいい」とか、「日本人らしい文化ですばらしい」等と考えるだけでなく、辞世の句を、「願いと悟り」という観点から考えると、それもまた人生の考慮材料になるのではないかと思う。

 死は自分に訪れるまで分からないし、誰でも必ず訪れる。人間は永遠を信じないが、明日は信じている人が多い。言い換えれば、明日を信じている以上、死ぬ間際まではある意味永遠を感じているのではないかと思う。だからこそ、死というものを考えているようで考えていない。

 勿論、私自身も死に関して真剣には考えていないし、考える必要もないと考えている。生を考えるなら対義語である死を考える必要があるという考え方も分からなくはないが、自分の生を知るという事は、「自分をどう生きていく必要があるか?」という問いの回答でもあると思う。

 そこで、先達たちが残した辞世の句、言い換えれば死ぬ間際に思ったことを学び、自分なりの解釈をして、自分の人生に生かすことが出来れば、それは人生を想える教材でもあると思う。

 死ぬ間際は「願いと悟り」の2種類しかないというわけではない。どちらも死を受け入れていることではあり、死の受け入れ方はそれぞれである。その中で、生物が一番恐れるのは「死」である。そこを受け入れて後世に残す辞世の句は、人間の人工的な価値観ならではの産物であり、ありがたいものなのかもしれない。

 死ねば人生そこまでであり無になる。ただの自己満足ではあるが、自分が死ぬ間際や死んだ後に、何かしら想いを残せるのであれば、それは自分の人生が納得いくものだったと死の間際にでも思うものなのかもしれない。

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