「どれほど分かり合える同志でも、孤独な夜はやってくるんだよ!」・・・Mr.Children(名もなき歌)
「互いのすべてを知り尽くすまでが愛ならば、いっそ永久に眠ろうか?」・・・WANDS(世界が終わるまでは)
自分のことを分かって欲しいという欲求は「承認の欲求」の1つです。気持ちはすごく分かります。しかし、他人のことを分かっているようで分かっていない!人から分かってもらいたいが分かってもらえないということは、基本的に当たり前です。
意思表示をした言葉などを「コンテンツ」、言葉にしていない心理内容を「コンテキスト」と呼んだりしますが、まあ、中々分かってもらえなかったり、分かってあげられなかったりするのが人間だと思います。
何故なら、人間の心理・性格は多面体であり、矛盾思考を持っているからです。それが、良い悪いではなく1つの「真理」だと思います。だって、1神教であれ多神教であれ、歴史であれ、思想の矛盾はどこでもどの時代でもあります。
また、私は「自分のことすらよく分かっていないんじゃないか?」といつも思ってしまいます。自分も分からないのに、他人を分かってあげられるはずもなし。
なので、「察する」ようにはしています。「私はあなたじゃないから分かりませんが、その苦労はお察しします」みたいな感じですね(;^_^Aまあそれはそれでどうかと思うこともありますが・・・
「伝達は伝えたら達する!それ以上を望んではいけない」・・・福本伸行(カイジ)
みたいな言葉があった気がします。ただ、そんなことを踏まえつつも、「共感」を感じることが出来る者同士は、良いパートナーに慣れるとも思います。
「何故こんなことを考えているのか?」なんて自分では良く分かりませんが、「人間分かり合えることは難しい」という事と、「そこを踏まえながら察することや共感できること」は、人生において意外に重要なんじゃないかなぁ~なんて、至極どうでもいいようなことを考えている今日この頃ですさね(-_-;)