「真理をめぐる重要な点は、真理を実体としてでなく、主体としてもとらえ表現することである。」・・・ヘーゲル
アウフヘーベンと言っても、よくわからない人の方が多いと思う。だいぶ前だが、東京都で小池都知事が、築地から豊洲へ魚市場を移す際に、アウフヘーベンという言葉を使い、一躍有名になった哲学用語である。(私個人は、築地から豊洲に移る際にの説明用語としては不適切だと思うが・・・)ただ、この考え方は、ビジネスにおいても、人生においても役に立つ考慮道具である。
人間は(人間に限らず生物全般だが)、基本的に面倒くさいことはしたくない生き物である。子供は、仕事を与えると、外因的な動機(お小遣い等)がないと、家庭の手伝いをしたがらない。しかし、それは大人も一緒であり、まず、出来る工夫より、出来ない理由を考えたがり、小さい頃からそれが根付いている為、基本的に、+αの仕事は、まずしたがらない人が多いと感じる。では何故か?
これはある意味、脳の仕組みにあると思う。すべての生き物における脳の作用は、どれだけ複雑になろうが、単純な目的を果たすために進化してきたと言える。それは「生きることと、子孫を残すこと。」である。
だからこそ、それ以外は、基本的に嫌がる傾向にあると、私は考えている。簡単に言えば、「食欲・睡眠欲・性欲」と言われる3代欲求がまず大事であり、それ以外に「自分が生きる。」為の得になること以外は、本能的に基本したくないのだと思う。
しかし、それでは教育を受けていない子供と一緒の発想である。遺伝子的に人間である事と、精神的や社会的、文化的な人間は、また違うものである。
そして、そこに私たちは小さいころからほとんどの人が「賞罰教育」を受けている。
「賞罰教育」とは、良ければ褒められ、悪ければ罰せられる教育である。「賞罰教育」にはいい面と悪い面があり、良い面は言わずもがなだが、悪い面は、褒められるように取り組むか、罰せられない様に取り組むか損得で動いてしまう事である。
だからこそ、「賞罰」を重きに置く人は、褒められるか罰せられるかよくわからないことはしたがらない。言い換えれば自分の利にならない事、利になるか分からない事は基本的にしたがらない。
故に大人が、子供の言い訳のようにまずできない理由が先に来る人が多いと感じる。そして、上記で述べたような理由に加えて出来る工夫をまず考える考慮材料を持っていないことが、原因の一つでもあると感じる。もちろん、どれだけ工夫しても出来ない事は出来ないが・・・。
題目に戻り、アウフヘーベン(日本語では「止揚」という)とはは、ヘーゲルという近代哲学者の弁証法の概念の一つであり、あるものを否定しながら、次の段階で肯定的に生かすものである。
肯定(テーゼ)→否定(アンチテーゼ)→合理(ジンテーゼ)という段階を踏む。これだけだと、よくわからないので、分かりやすくアウフヘーベンの説明で有名なマザコンの男を例に挙げる。
僕はお母さんが大好きだから、お母さんと結婚したい(テーゼ)→でもお僕の母さんだから結婚は出来ない(アンチテーゼ)→であれば、お母さんみたいな女性と結婚しよう(ジンテーゼ)と言うような事である。
コロナ渦の昨今を例に挙げると・・・
会社に集まり、仕事をしないといけない(テーゼ)→コロナ感染が心配だから、会社に人は集まれない(アンチテーゼ)→であれば、テレワークで自宅で仕事をし、人が集まらずに仕事をしよう(ジンテーゼ)という具合である。
人間は追い込まれれば、いろいろ考慮する為、災害などの有事の時にはアウフヘーベンを考慮することができる。しかし平時の時こそ(基本的に人生の大半は平時である)、この思想を考慮できれば、できない理由より、出来る工夫を考慮することが出来る。
考え方は十人十色であるが、できない理由をあげるより出来る工夫を考慮した方が、それなりに人生は面白くなるはずである。