哲学ブログ

不満~自然と教養~

「不満こそが、進歩するための鍵である」・・・トーマス・エジソン

「粗さがしをするな。改善策を見つけよ。不満など誰でも言える」・・・ヘンリー・フォード

 不満・・・言わずもがな!だが、満足できないことである。愚痴や嫉妬、恐怖等は、不満があるからこその産物である。人間はまず不満に思う生き物だと思う。不満というのは、人間だけに限らないと思うが、生まれ持った自然的な感情である。

 例えば、身体であれば、心臓は生物の意思に関係なく動く(心臓に限らずだが)「自動能」という不随機能がある。その「自動能」を精神的に当てはめた時に、不満的な感情がそれにあたる。

 何故なら、自然な存在である子供は満足よりも不満を訴える。満足は与えてさらに、満足することを教えなければ、覚えないことが多い。

 「足るを知るは富む」

 という言葉がある。「自分の環境等に対して満ち足りていると思える人ほど裕福である!」と言うことである。

 逆に言うと、人間は「足らない」という事はもともと知っているという事であり、ある意味自然的感情である。しかし、足ることは自然的でなく、人工的に学ばないと知ることはないという事である。

 「不満」の様な負の感情が人間にまず備わっているのは、「生きる為」に必要だったからだと私は勝手に考えている。何度も記載してきたが、生物全般「生きる為」に進化してきた。人間も例外ではない。100年前でも栄養失調で死ぬものも多く、300年くらい前になると大人になれる子供は半分以下であった。

 今でこそ「癌」等の病気が死因の第1位を占めているが、約20万年間、人間は「飢餓、戦争、猛獣に襲われる、自然災害、疫病」等が死因を占めていた。現代の脳も、1万年前の脳も「変わりはない」と言われている。

 であれば、まず生きる為、そして子孫を残すために、生物は進化し人間も同じく進化した。ただ、人間は身体機能よりも、道具を使うという事に定向進化したと言える。そこからさらに人工的な科学や文学等の脳的な定向進化を遂げた。そして、幾何学や哲学、数学や文学、科学等の学問が発展した。身体能力の定向進化で言えば、何かしらで人間が1位になれることはない。

 しかし、人間が文明と言われるものを気付き上げたのは約1万年前と言われている。人工的な定向進化はその頃ぐらいからである。そうであれば、それまでは「人工の進化」よりも、「自然的に生きる人間」というように進化してきた年月の方が19倍も多い。だからこそ、人工的な人間よりも自然的な人間の名残の方が多いのである。

 なので、私は「不満」等の負の感情の方が「満足」というような正の感情よりも、自然の産物と考えている。祖先は、「明日、食料を手に入れられる保証がない!」という時代を大体19万年間つないできたのだから、簡単に満足するより、不満を持って生きていた方が、生存確率が高かったはずである。

 「今日は獲物がとれなくて空腹でも、明日なんとなかる」と思う先祖と、「今日は獲物がとれなくて空腹だから、明日は絶対獲物を捕る」という先祖が2者がいれば、おのずと後者が先祖になってきたはずである。なにかしら不満があるからこそ人間は進化したと言える。

 しかし、「足るを知るは富む」という言葉を残した「老子」という人物は紀元前500年前くらいの人物であり、今から2500年前の人物である。その前程から、「人間は知ることを覚えないと幸福にはなれない」という教えがつくられてきた。

 キリスト教や仏教、イスラム教等の宗教も、私が感じる事は人間としての苦しみをどう開放するかというような解決策を提示していると思う。人工的に生きることに「足る」を知ることを教えている面があるからである。

 言い換えれば、人間は自然的な感情を人工的にどのように加工すれば幸せになれるかを、突き詰めてきたのである。しかし、19万年間人間が程受け継がれてきた「不満」的な自然感情は中々制御できない。

 もともと人間が備わっている「生物的な感情」であるからこそ、現代でも裕福な人も「不満」が尽きないのである。しかし、裕福な時代であるからこそ、それを精神的にどうコントロールするかという、人間らしいと言われる「人工的感情」が必要であり、それは所謂「教養」に近いことである。

 人間は電気をつくることで、夜という概念を変えた。夜という自然現象を変えたと言ってもいい。それは精神的にも必要な事であると思う。自然的に備わった不満の概念を、自分自身で変える事が必要である。しかし、身体的にも脳的にも20万年前から受け継いだ遺伝子的思想もあるから、厄介である。

 ただ、「人工と自然」をテーマに考えると、人間は厄介であるからこそ愛らしく、下らないと思いながらも面白く思えれば、人生の醍醐味の1つになるなのかもしれない。

土偶の不満
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