哲学ブログ

宗教感~信じるもの~

「あらゆる宗教自己超越の手段であって、宗教的経験を他から区別する特色は拡大の意識である」・・・ホルロイド

 「人間が宗教の始めであり、人間が宗教の中心点であり、人間が宗教の終わりである」・・・フォイエルバッハ

 古今東西、今昔から宗教は人間世界に根付いてきた。何故宗教が人間世界に根付いたのかというと、人間は分からないことが不安であるが故に、意味を見出そうとする。その人間の生物的な本能と、人工的な本能と双方の相乗効果によるものだと私は考えている。

 どういいうことかというと、まず人間は生きるために「不安」を覚える。すべてとは言わないが、殆どの欲求の根底にあるのは「不安」である。「不安」は人間に「安心」を求める。「分からない事=不安」となるため、不安を分かるために意味を見出そうとする。

 例えば、「何故人類が誕生したのか?」という問いに対して、この問いを理論的に答えられる人はまずいない。現代では昔と違い、「このように人類は誕生した!」と答えられるが、「何故誕生したか?」は答えられない。そして、そこには答えは存在しない。ただ、そうなったというだけである。

 人間の自然的な感情は、分らないことが嫌いである。なので、そこから想像力を働かせてその答えを探そうとする。そこで「なぜ人類が誕生したのか?」という問の回答に「神」という概念を創った。

 「不安」という生きるために備わっている自然的な感情を安心させるため、「想像力」という人工的な考慮が生まれた結果、神という概念ができ、「宗教」が存在したのだと私自自身は考えている。

 キリスト教は、神が6日間で世界を創り、その6日目に人間を創った。ギリシャ神話では人はもともといたが神とあまり区別がなく、ゼウス神が人と神を分けて人という概念が確立した。日本神話では、神の子が人となり、イザナギノミコトとイザナミノミコトの子供たちから人間となった。

 「何故?」という事に対して、「宗教学・神学」は産業革命がおこるくらいまでそれらを答えてきた。宗教が確立するための根底は「信じる事」である。所謂「信仰」だが、この信仰を根底とする宗教はすごい力を発揮する。

 例えば、キリストの教えは「左のを頬を殴られたら右の頬を差し出せ」「剣で滅ぼしたものは剣によって滅びる」等、どう考えても「非暴力主義」である。キリスト教ほど血で血を争った宗教はあまりない。これは「一神教」の特徴であると私は考えているが、「キリスト教を信じる」という事は「他の宗教を信じてはいけない」という事となり、そこから他の宗教を排除するという行為に至った。

 日本人は宗教に無関係と思われがちであるが、実はそうでもない。墓参り等の「先祖崇拝」や子供の成長を願う「お宮参り」等、神道である宗教の1つである。また、神という概念はなくとも「祈る」という行為はする。それは宗教の根源的な原理に起因するである。

 現在では、「お金」という物が特に信じられており、ある種宗教化されている。お金は言わずもがなだが、ものと交換する「貨幣制度」の確立のためつくられている。しかし、お金さえあれば「何でも出来る」、「幸せになれる」、「何にでもなれる」等と貨幣制度以上の価値を信じている人が多い。

 金だけが人生ではない、しかし、お金がない人生も人生とは言えない。十分な金がなければ、人生の可能性のうち半分が締め出されてしまう。・・・サマーセット・モーム

 というように勿論、生きていくためや幸せになるために、確実にお金は必要である。しかし、幸せになれるかどうかの要因にお金があったとしても、+α(考え方や人と出会い等)の要因やそもそも「幸せを感じる」という能力がないと幸せにはなれない。

 「幸せになる」という目的の手段の1つがお金であるが、お金の力を信じすぎてしまうために、お金のために人生を費やしたり、損をしたりする本末転倒な現象が生じる。お金を稼ぐこと自体が幸せであれば問題ないかもしれないが・・・

 何かを信じること、言い換えれば信仰することはある意味、人間の本能と言ってもいい。「信じる者は救われる」というが、信じるという宗教感は人間誰しも持っているものであり、何を信じるかで人生が変わってくると言っても過言ではない。

 そう考えていくと、人間は何かしら信じていないと生きていけないが、問題は「信じる」事ではなく「何を信じるか?」という事が人生において重要になる。それは1つの事だけを信じるより、多少複数を信じる方が、考え方の幅というか、視野が広がると思う。

 一神教は他の宗教を許せないが、多神教は他の宗教を認めることが出来るように、認める範囲が多い方が、考慮材料を受け入れやすくなるため、人生が面白くなるものだと思う。

 何を信じるかは、個人個人の培っていく人生の中で決まるものだとは思う。「お金・学び・異性・権力・家族・友人・自分・・・ETC」

 宗教感の様に信じることが人間に刷り込まれているのであれば、何を信じた方が人生が面白くなるか考慮出来た方が、よく生きれると思う。

 

寝てる釈迦
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