哲学ブログ

死の概念~大事な生~

「人は死ぬ。当たり前だ」・・・釈迦

「死が訪れた時に死ぬのは自分だ。だから自分の好きなように生きさせてくれ」・・・ジミ・ヘンドリックス


「死」というものに関して、その後の世界も含め、古今東西いろいろな議論や想像がなされてきた。人に限らず、生きているものは必ず死ぬ。分かりきっていることだが、「死」は、体験した時には誰にも伝えられない状況となり(臨死体験等の記述はあるが)、とどのつまり死後の世界は誰にも分らず、想像をするのはいいが、議論としては成り立たない。


「悪が存在しなければ、膳もまた存在しない」・・・アナトール・フランス


これは「善と悪」の2項対立概念である。「善悪2原論」とも言われる。膳を知りたければ悪を知ること。私も昔はこの考え方に感銘を受け、生を知ることとは死を知ることと考え、「死」について色々と考え、学んでいた。

 ただ、「悪」という概念があるから「膳」という概念が成り立つことは分かるし、「死」という概念があるから「生」という概念があるというのも分かるが、ただ、どちらも同じく概念のみ話であり事象の話ではない。

 概念がなくても、その事象は必ずある。「善悪2原論」を例に挙げれば、もし「悪」と呼ばれる概念が無くても、「善」と思われるような行為や事象は存在する。概念と事象を考えることは違うことであり、生死に関しても、その事象を考えるときは、対義語を考えるより、その事象そのものを考える方が、真理に近づくはずであると今では考えている。


 また、「生きる」ことと「死ぬこと」は対義語ではない。生きることは「線」であり、死は「点」である。故に「生まれる(誕生)」と「死ぬ(死亡)」が対義語となる。


 昔は、説明できないことは「神話」によって説明されていた。日本では「死」という概念は、「イザナギノミコト」と「イザナミノミコト」の神話から始まった。また、世界各地に「死」をつかさどる神の概念が存在する。


 しかし、「死」そのものはただの事象であり、1・心肺停止、2・呼吸停止、3・脳機能の停止、所謂医学的な「死の3徴候」で「死亡」となる。と言われればそれまでである。しかし九相図という、死体が朽ちていく経過を9段階に分けた仏教絵画があるが、それを見ると昔の人の方が、「死」という現象を科学していたのではないかとも感じる。


 「死」に関して考えるときに、その事象より、自分にとって「何の死?」言い換えれば「誰の死?」が自分の人生に影響する。その考慮材料として、養老孟司氏の、「1人称の死」、「2人称の死」、「3人称の死」という考え方が参考になる。


 1人称~3人称までの「死」とはどういうことかというと、1人称は英語で「I、My、Me」2人称で「You、Your、You」3人称で「He、His、Him」と、中学校の授業で、最初に習うものだが、この人称と死を合わせると、「1人称の死」=「自分」、「2人称の死」=「自分の身の回りの人の死(家族、友人、職場仲間、ETC)」、「3人称の死」=「自分の知らない人の死(ニュースで事故等で報道されるような死等の、自分に関係ない死)」となる。

 人間は目に見えない(知らないところで起きている事や、関係ない死)「3人称の死」に関しては、心を痛めることは少なからずあるかもしれないが、特に気にしない者である。自分の人生に直接的に関係しないからだ。(もちろん、そのような死に関しても関心を持ち、色々活動している人はいるが)

 また「1人称の死」に関しても、自分の事であり、死んだ時を考えても、何も出来ない為、特に意味はない。(財産分与や遺言等、生きているうちにしないといけないことはあるが)。


 人間にとって一番重要な死、大事な死とは「2人称の死」である。自分の人生に「影響を与える死」と言っても過言ではない。もちろん、自分の人生、自分の死、「1人称の死」も大事であるが、それは自分が死ぬということより、死ぬまでどう生きるか?ということに意味を持つ。

「死」に関しての言葉は、「愛」に関する言葉と同じぐらい吐いて捨てるほどある。しかし、「1人称の死」は自分の人生の終わりであり、自分の人生にその事象自体が意味をもたらすものではない。(死を思って生きることの意味とは別に)。「2人称の死」が自分の人生に意味をもたらし、自分の人生に大事なものである。


 私も近年大事な祖母が亡くなった。やはり、少し考え方や思考が変わった。2人称の死はなるべく避けたいものである。そう考えるのであれば、「2人称=自分の周りの人」に対して、もっと大事にできるのではないか?と思う。

 また、そう考えていくと、自分に関係する出会いを大事にできると思う。自分にとって大事な「生」を認識できるはずである。出会いを大事にできる方が人生は面白くもなる。

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yu-sinkai

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